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無農薬コットンはどんな場所で作っているのか

ナナデェコールが提携するコットン畑を営むのが、藤原潤氏。島根県雲南市の棚田が広がる大東町・山王寺エリアで、2018年から耕作放棄地を使って無農薬でコットン栽培をしている(加藤完一商店という屋号で糸や製造も行っている)。
出雲大社から車で約60分の場所にある山王寺の棚田は、平成11年(1999年)に「日本の棚田百選」認定され、日本らしい美しい田園風景が広がっている。

藤原氏は島根県松江市出身。祖父が大東町に住んでいたので、幼い頃からこのエリアには慣れ親しんでいたのだそう。
進学と就職で島根を離れ、他業種でサラリーマンを経験したのち、この土地に綿栽培をしに移り住んだ。なぜ綿栽培を?「学生時代は岡山の大学でデニムの研究をしていて、織物工場の取材に行ったりしていました。
前の仕事を辞めて地元に戻る時に、好きなことをやろうと思ったんです。大学で勉強していたデニムは全部コットンでできていることもあって、コットンに関わる仕事をしたいなと思ったんですが、当時29歳の時点で繊維産業を始めるのはなかなか大変だなと思い、隙間をやっていこうと。そこで産業の上流にある綿の栽培をやることにしたんです」(加藤完一商会代表・藤原潤氏)
なぜ奥出雲エリアにある山王寺でコットン栽培を始めたのか

日本の綿の自給率はほぼ0%と言われていて、誰もやっていないことがここならできるかも、と感じたのだそうだ。
「ブルーオーシャン的な感じで始めたのですが、みんながやらない理由がよく分かりました。綿栽培って本当に大変なんです(苦笑)。
まず、サラリーマンだった僕は種を入手しないといけなかった。人づてに大東町で綿栽培をやっている人を紹介してもらったのですが、その方が種を分けてくれたんです。しかも、僕が栽培したいと思っていた超長綿という細い糸が紡げる品種の種も譲ってくれました。これは世界中で収穫される綿の中でも3%しかないと言われていて、その中でも名だたるファッションブランドでも使われているトップクラスのシーアイランドコットンに近いものだと、後に綿を持ち込んだ時に紡績工場の方に言われました」(藤原氏)
その種を譲ってくれた人の紹介で、山王寺の耕作放棄地を使って無農薬の綿栽培をスタートさせた。
日本の原風景とも言われる棚田で超長綿を育てる
棚田は日本の山間部などに見られる水田のスタイルで、斜面を切り開いて作られており、階段に連なっている。
この山王寺エリアは幹線道路から奥まったところにあり、聞こえてくるのは私たちの話声と鳥の鳴き声だけ。なんだか良いものが育ちそうな場所だ。
「この超長綿は収量が少ないんです。そもそも世界で収穫される綿の3%と言われているのは、実が小さいことにも起因します。他の品種に比べると収穫できる量は約半分、でも値段が倍になるわけじゃないんです。品質はいいけどお金にならないから、普通の農家さんは栽培しない。品質を求める職人的な農家さんが育てる品種です」(藤原氏)


100株から採れるコットンから作れるのはTシャツ2〜3枚ほど。しかも糸から作ると商品化できるのは種をまいた2年後以降となる。手間がかかるのだ(思わず白目)。
島根県でコットン栽培を成功させた先人の、栽培記録を入手
ここで藤原氏はまた大きな出会いがあった。明治時代に島根県で綿の量産化に成功した研究者の栽培記録を手に入れたのだ。
「もともと島根では綿栽培が盛んに行われていました。江戸時代に北前船で、近くのたたら製鉄で作られた鉄を北前船で運ぶ時に、鉄だけだと重いので荷物の隙間に綿を詰めていたと言われています。
大正時代頃まで栽培されていたのは繊維の短い和綿だったのですが、松村豊吉という研究者が衣服などに使える洋綿の栽培を成功させました。昭和の初頭には、綿の収穫量の世界記録を作ったそうで、その松村さんのお孫さんが僕の実家の近所に住んでいたんですね。その家を訪ねて自分が綿栽培をしていることを伝えたら、その松村先生の栽培記録をコピーして譲ってくださったんです。松江と山王寺では高度は違いますけど、山陰の気候の中で栽培した記録はとても参考になっています。
僕に種を譲ってくれた方も、松村先生の功績を忘れないために、コットン栽培を始めたと言っていました。
山王寺は日当たりがよく、風も通ってコットン栽培には向いているんです。水やりも種まきの時にするだけで、あとはお天道様にお任せするだけでいいんです。世界的にコットン栽培は水を多く使うことが問題視されていますが、ここでは水やりの必要はありません」(藤原氏)
日本の原風景とも言えるようなこのエリアは、何を栽培してもうまくいくのだそう。
ナナデェコールとの出会いとコットン栽培と製品化の取り組み

藤原さんは、いろいろと導かれる人のようだ。そしてコットン栽培が始動した頃、ナナデェコールの神田恵実氏と出会った。
「私の先輩が出雲大社の須佐男様の社をお参りした時に運命を感じ、東京から出雲に移住をして、出雲周辺の素晴らしさを紹介してくださるんです。無農薬で食用のバラを育てている農家さんや、和紙の工房など様々に視察に行っていました。
ある日、『奥出雲で、オーガニックコットンを育ててる人がいるから会ってみない?』と誘われ、雪の中、細い山道を登り、山王寺の棚田に辿り着きました。その美しい山間の集落に広がるコットン畑で藤原さんに会いました」(ナナデェコール・デザイナー 神田恵実氏)
それ以来、ナナデェコールは藤原氏と無農薬コットンを一緒に栽培して毎年や一定量を商品にしている。「Seed to future 一粒の種から未来へ」というプロジェクトである。
“オーガニック“認証を取得することの困難さとは
悩ましいのは、無農薬で栽培しているのに“オーガニック”と謳えないことだ。
「綿を製品にするまでは、10社ほど間に入るんです。自分たちでできることはやりますけど、それでも6社くらいは入ります。
紡績、染色、織、編み、それから企画やデザイン、パターンなどを経て縫製に至ります。そのすべての業社がオーガニックの認定をとっていないと、オーガニックコットンとは謳えません。
その認証を取るにはお金がかかります。でもそれも検査に来てくれる人たちの旅費やら人件費を考えたら、妥当な金額ではあります」(藤原氏)
「製品も、“オーガニック“と謳うには製造工程の全てに関して安全であることを第三者に証明してもらわないといけません。綿がどの畑でいつ取れて、この品番の糸はどのロットから何グラム使われているかなどを明確にしながら、原綿、糸、生地、製品とGOTS認証を取得するためには本当にお金と時間がかかります。下請けが多い日本の産業文化の構造が、さらに認証の取得を難しくしています。
中国やインドなど、糸から商品化まで一括管理している工場のほうが安価でGOTS認証が製品で取れると思います。」(神田氏)
「たとえば知り合いのカボチャ農家さんなどでは、10何団体で一緒に有機栽培の申請を出しているところもあります。申請料をみんなで出し合っているんですね。
実は綿を扱っている工場さんから、一緒にGOTS認証を取らないか? とお声がけいただいているんです。そこはヨーロッパの大手ブランドと仕事をしているのですが、認定をとっていないと数年後から取扱いができなくなるって言われたそうなんです。ヨーロッパは厳しいですね」(藤原氏)
トレーサビリティが厳しい欧米で、日本の製品や原料が扱えなくなる日が確実に近づいているようだ。
コットン農家をやっている理由はシンプル。いいものを作りたいだけ

「山王寺の農家さんが高齢化していて、その耕作放棄地を使っていることで、結果として僕のやっていることは棚田を守ることに繋がっていますが、もともと僕は農家になるつもりはなかった。シンプルにいい生地が作りたいだけなんです。
他県のコットン農家さんから仕入れようと思って問い合わせたら、収量が少ないから高くなると言われたので、じゃあ自分でやるしかないと思ってコットン栽培を始めました。お金の話だけだったら、初年度でやめていたと思いますね」(藤原氏)
「年々、温暖化で暑くなり、コットンの収量が下がってきました。それを私が心配してコットンで小物を作ろうなどと提案したことがありました。その時に藤原さんは、良い生地を作るのが仕事だから、収穫が悪くて食べられない年があったらバイトするからいいって言ってましたよね(笑)。余計なことは考えず、品質の良い生地を作り、それを使って頂きたい。目指すところはシンプルで、品質の良さを追求し続けること。
この考え方は、ナナデェコールの軸であり、私も同じ価値観です。私たちはみなさんに安らぎを届けるために、とにかく肌触りや縫製、製品の仕様すべての品質を上げることを大切にしています。認証云々よりも、最高級の糸や生地を作って、製品からその心地よさを体感して頂きたい。行く行くはこの貴重な超長綿の品質の裏付けとして、地域をからめてブランド化していけたらいいなと私は思っています。
今の時代は、ものごとの出だしがどれだけ純粋か、ということが最終的なアウトプットに影響します。売るために作るのか、良いものを届けたいと思って作るのかで、大きな違いが出ます。
純粋さを追求していくと、知らずに周りから応援の手が差し伸べられることも実感しています。突き詰めるものがお金儲けだと瞬発力が勝負かもしれません。ナナデェコールは20年来のお客様も多く、最近では3世代でご愛用のご家族もいらっしゃいます。品質を上げて、心地よさを伝え続けるために、私自身もここにきて、最初の気持ちに立ち戻ることができてありがたいと思っています」(神田氏)
「自分でやっているというよりは、気がついたら周りからやらされている感じなんですけど(笑)。オーガニックの畑を1人でやるには2haが限界と言われています。だいたい学校の校庭2面くらいですね。そろそろ限界なので、最近では外の協力農家さんに栽培を依頼しています」(藤原氏)
とてもピュアな動機でスタートしている藤原さんに、不思議な縁が生まれているのは奥出雲という神秘的な場所だからかも? 自分が蒔いた種の育っていく様子はもちろん、ぜひこの先も藤原氏のもの作りを見守っていきたい。
なお、春の種まきや、秋の収穫体験、「seed to future」の一粒の種から未来へつながる学びのプログラムは随時、nanadecorやnanadecor 主宰の学びの場「My organic labo」のイベントで募集される。