いとうせいこう
1961年、東京生まれ。作家、クリエイター、ラッパー。出版社勤務を経て独立し、小説・エッセイ・音楽・ラジオなど幅広く活動。講談社エッセイ賞受賞『ボタニカル・ライフ』(新潮社)、野間文芸新人賞受賞『想像ラジオ』(河出書房新社)のほか、『ノーライフキング』『自己流園芸ベランダ派』(以上、河出書房新社)など著書多数。福島に太陽光発電をもち、ファンがその電気を買える「いとうせいこう発電所」をUPDATERと運営している。
有太マン
アーティスト/みんなのデータサイト顧問/UPDATER並走者 1975年東京生、School of Visual Arts卒。96~01年NY在住、2012~15年福島市在住。単著/個展『ビオクラシー』(SEEDS出版、2016/高円寺Garter、2016)、グループ展「Legacy3.11」(伊ミラノ Fabbrica del Vapore、2024)ほか。2025年2月には故・康芳夫を偲ぶ会の企画運営を務める。
「この本の意義は最初の2ページで終わっている」(いとうせいこう)
アーティストでありライター、有太マンの書籍『生活の実践 「足るを知る」と世界が治る』(Type Slowly刊)が5月20日に刊行された。その出版記念/先行発売イベントが5月13日に、渋谷に新しくできたギャラリー兼ブックストア「NONLECTURE」で開催され、作家/クリエイターでありラッパーのいとうせいこうさんをゲストに迎えた。『生活の実践』とはどんな本なのか? 本書のキーワード「生命主義(ビオクラシー)」「足るを知る」とは? そもそも「有太マン」とは何者なのか? 有太マンを以前からよく知り、「ヒップホップ」「福島」「発電所」という共通点も多いいとうせいこうさんに、その核心に迫っていただいた。

「印刷所選び」から本のメッセージがはじまる
いとうせいこう(以下、い):この本をまだ手に取ってない方も多いと思うんですけど、まずびっくりするのは、めちゃめちゃ軽い。出版にいる人間として「こんなに軽くつくれるんだ」って驚きがある。帯の表4(裏)側にも書いてあるけど、「本書は大川印刷の協力により、環境負荷をできるだけかけない印刷・製本でつくられました」って。つくられ方自体がもうメッセージになってるってことですか?
有太マン(以下、有):本に関していつも思ってたことは、諸先輩方が「再エネの本出します」「環境の本出します」という中で、印刷ってやっぱりすごい環境負荷が大きいわけです。
い:木を切ってんだからね。本棚にいっぱい本があるってことは、それだけ木を切ってる、インクを使ってるってことだよね。
有:インクには化学薬品がすごい入ってて、匂い嗅いでると頭クラクラするし「言ってることとやってることが、違和感あるな」みたいなことはよく感じていました。僕は、よくデモにも行ってた人なんですけど、デモに行って再エネや環境のこと、原発のことを考えて、いろいろ反対と言ってるけど、家に帰るとなぜかそこが切り離されてしまう。「家でどこの電気使ってる?(原発由来の電気じゃない?)」みたいなことが切り離されてしまうケースがあって。ミュージシャンにしても「〇〇反対だ」って言っても、「じゃあ、その音を奏でている電気どうしてるの?」というところになぜか考えが及びにくい。でも、それってすごく基本的な部分じゃないですか。言ってることとやってることをできるだけ近づけていく。自分の力なんて微々たるものですが、せめて自分が何かつくって発信するのなら、せっかくみんな電力(現UPDATER)という会社と10年以上併走させてもらっているわけで。
い:有太マンと僕がつくった電気本『今すぐ知りたい日本の電力 明日はこっちだ』(2023年、東京キララ社)でも、途中から有太マンが「大川印刷というところがあって、そこでつくらないと意味ないんじゃないか」という、本が結構できてる段階で言い出すっていう。いかにも「有太マンらしいな」と思ったけど、でも本当は、そうやってやるべきなのは当たり前だなと思っていましたよ。
有:当時も編集の方はすごい理解くださって、また「有太マンが無茶言ってる」みたいな話ですよね。でもその時は「高すぎます」みたいなことでできなかった。
い:今回の本は2,000円でしょ。で、普通そういうことにこだわってつくると重々しくなってくるんですよ。ところが、この軽さに僕はびっくりした。
有:表紙をめくったところ、ここには大川印刷の取り組み、この本がどうやってできたかということが表現してあって、用紙・インク・印刷・製本から配送まで脱炭素と再エネにこだわってやりましたと。
い:いやでも、これはすごい。
有:今、出版業界も大変じゃないですか。僕は元々「紙」の人間なので愛着がすごくあるんですけど、このつくり方をデフォルトにすると「出版業界いいじゃん」ということで、みんなが応援する方向にいかないかなという試みでもありました。
い:そういう意味では、この本を出した意味合いのかなりの部分がもうすでにこの2ページで終わっちゃってるっていう。これがわかれば「ああ、そうか」みたいな。いろんなことに応用できるし。これは重要じゃん。
有:せいこうさん、さすが鋭くてですね、僕、これをクリアすれば、ある意味「何書いてもいいんじゃないか」みたいな気もして(笑)。
い:そんなことはないんだけれども(笑)。
有:少なくとも、中身を自由に書いても、そんなに怒られないんじゃないかと。
い:今、有太マンが言ってることはすごく大事で、この表紙のすぐ裏にコレを入れる形式でやると、当然この中身も、再エネとか社会運動に関わる本なんだろうなって。でも、これが4コマ漫画でもよかったわけじゃん。4コマ漫画なのに、最初にCO2削減とかすげえこと書いてあって、でも読んだら4コマ漫画。それがすごい面白い、でいいわけじゃん。
有:本当ですよ。
い:それがメディアを変えていくってことだから。そういう意味ではこれが第1冊目として、そういうやり方でみんなに理解してもらえるといいなと。それでこの値段はなんでなの? 大川印刷さんが泣いてるんじゃないよね?
有:(泣いてない)はずです。
い:大川さんも「やりようによっては、今やこれができるんです」って言ったら、それ革命じゃん。
有:そうなんですよ。だから十分ノウハウと経験値、オーダーの数も増えてるんじゃないかと推察します。こういうことができる印刷所は、まだまだ少ないので。
い:じゃあ、まず一番やんなきゃいけないことは、今日来ている人たちも、家に帰ったら、誰かにこの話をするってことだよね。
有:そうですね。「こんな本があるんだ」「こんなことできるんだ」みたいな。
い:しかも「そんな大したお金はかからないらしい」って。だったら「こっちの方がいいに決まってんじゃん」って言うと、大川さんにとっても助かるわけでしょ。
有:横浜の本当に明治初頭からある会社なんですけど、やっぱり何とも言えない文明開化の雰囲気が今もあるというか。新しいことに躊躇しない感じ。6代目の方が社長をやられていて。
い:ええ、印刷所で? 櫛屋とか簪屋ならわかるけど、印刷屋で6代目ってところがいいじゃん。それを選んだっていうところに、もう有太マンの目が光ってるじゃん。行動力もあるし、そういうことをしたかったわけでしょう。一緒につくった本の時はできなかったんだから。正直オレも忸怩たる想いがありますよ。でも、こうやった時に、本としてのできも、このサイズにしたのもすごいアイディアだなと。小さめで可愛らしいじゃん。重々しくない。
「なんとかマン」が書いた本ってないよ
い:今回は平井有太(本名)ではなく「有太マン」名義だから、著者としての名前が違うからね。有太マンの名義で出したのは初めてなの?
有:デビュー本です。
い:デビューじゃないですか。おめでとうございます。
有:ありがとうございます。50にして。
い:これは、ものすごく前にプッシュしなきゃダメよ。だって普通にものを書いてる人の名前で「有太マン」とか見ないよ。本屋さんで「『なんとかマン』っていう人が書いてるんですけど」って。そんな「なんとかマン」はいないだろう。
有:まあでも、過去には「ECD」さんとかいましたが。
い:ECDはわかりやすいじゃん。
有:この名前は、ニューヨーク時代に中古レコードの買い付け仕事をしていて、そのディーラーに「レコード入った?」とか電話するたびに、「ユウタメ〜ン、ユウタメ〜ン」って言ってくるやつがいて、それだけなんです。たぶん、英語的に語呂が良かったんだろうと。
い:これからは「有太マン」を背負うってことになるんですよ。DJとしては背負ってたかもしれないけど、書き手としては背負ってたんですか?
有:とはいえ、僕は2001年にニューヨークに住んでる頃から有太マンを名乗っていたので。僕としては元に戻った、初心に帰った意識というか。
い:今回の本の肝となる「生命主義(ビオクラシー)」とも繋がってくるんだけど、やっぱり有太マン名義でやったってことには意味があるわけですよね。その辺の人生のグルーヴとか、そういうものも大事ってことでしょうね。

民が主なんて、おこがましい
い:「ビオクラシー」ってのはなんですか?
有:東日本大震災後に福島に移住して農家さんと一緒に「現場」で活動する経験を経て、資本主義も民主主義もダメだなと。何かというと民主主義が尊いものとして語られるじゃないですか。でも民主主義って現場ではただの多数決で、そこの数字さえも操作されていて、もう「そこじゃないんじゃないか」というのでひねり出したのが「生命主義(ビオクラシー)」です。
い:「民主主義より生命主義」ってことね。帯に書いてある。
有:はい。「民が主とは、どれだけおこがましい態度か」ということを言っています。主は本来、もうその辺の微生物とか、地球環境の生きとし生けるものすべてであるはずで。僕らなんて、たかだか最近地球に現れた生命体のくせに、偉そうにやってるわけじゃないですか。民主主義を考え出したから、あたかもそれで世の中を導けるかのようにやってるけれども。
い:そもそも間違えてるんじゃないのっていうことを、福島の現場で思ったと。
有:そうです。僕なんかはこんな調子なので、アカデミックなところで皆さんと議論をしたいとも思わないし、できない。もっと大事なことは、日々を暮らしているおじいちゃんおばあちゃん、もちろん若い方でも、平易にスッと伝わる言葉を探してる中で、いや「もう人じゃないでしょう」と。エネルギーのことをやっていると、脱炭素には豊かな土壌がすごく大事だということがわかってきています。
い:とんでもないよ、微生物。
有:そう、すさまじく偉い。微生物が環境をつくってくれていて、僕らの腸の中の常在細菌なんかはノーベル賞級の偉大さであることを認識するようになって。
い:そうですよ。
有:それだってもはや、皆さんが知ってることじゃないですか。そのはずなのに、現実にはそうならない。戦争は終わらないし、環境崩壊も止まらない。僕みたいなへっぽこがこういう大それた生命主義とかって言い出すくらいのひどい世の中であって、「生命主義を念頭に世の中つくり直しましょう」と、クソ真面目にいろんな角度からこの本の中で言ってみました。
い:重要なのは、この「足るを知る」ということで、どうしてもここで言いたかったんでしょ。それとも書いてるうちにこうなっちゃったんですか?
有:書いてるうちにこうなりました。それ以上のキーワードが出てこなかったんですよね。誰でも知ってる、何でもない言葉なんですけどね。
い:でも、それが欠けてるから世界が収まってこない。
有:途中でガザのこともあったじゃないですか。一体なんで、あんな凄惨な、ヒドいことになるのかなと。そして、本当に僕らにできることはないのかなって。
「無力上等」と「ナメられてなんぼ」
有:僕は、3.11が起きて、世の中は変わると思ってたわけです。少なくとも僕から見える世界は変わったし。でも今、戦争で無邪気な子どもが巻きこまれて死ぬとか、何もいいことは起きていない。むしろ悪くなっている。結局何をしても、止める力はないんじゃないかという。
僕はそもそも、若い時からせいこうさんの言葉に勇気づけられてきた若者だったりするわけですが、これは今までとはやり方を根本的に変えないと、全然ダメなんじゃないのかという。
い:一人の人間がまったくそれを変えてしまうということの方が、逆に言ってみたら恐ろしいこととも言えるわけで。オレは「無力上等」って思ってるから。「無力であることを自分でダメだなと思うべきではない」と思っているんですよ。あらゆるやり方があればいいと思っている。「誰もが無力なんだ」っていう考え方。
有:僕が本の中で展開していることともすごくリンクするというか、僕は「ナメられてなんぼ」という言い方をしているんですけれども。人は強いリーダーを求めがちだし、尊敬できるカリスマについて行きたくなるかもしれないですが、結局のところその人たちに責任があるわけではなくて、それが起こす事象っていうのは、やっぱり受け手の「思考停止」なんですよね。だからこそ自分で考えて、どんなに間違ってようが、へっぽこだろうが、野良犬だろうが無力だろうが、自分で考えて、自分でもう一歩でも半歩でも進むみたいなことを、やっぱりもう超スーパー、みんな全員でやるみたいな方向性かなと。でも、それだってキレイゴトなのかもしれない。
い:キレイゴトじゃないんじゃないですか。だって今、国会前で何が起きてるか。昔は「もっと政治家に喋らせてたよな」とか、それはオレにももちろん来ましたよ。「いとうさん、スピーチしませんか」って。でも、僕は申し訳ないですけど「僕は今回しないです」と。なぜならば、「普通の人」と言ったら失礼かもしれないですけども、子どもを育ててらっしゃるお母さんとか、学生とか、「これはおかしいな」と思ってる人が、「私は普段こういうことをしている者ですが」「今私はこういう風に思っているんです」という演説が次々続いていることの方に、僕はすごく感動もするし、そっちの方が力がよっぽどあると。
で、著名な人がやると、その言葉はマスコミに次の日には出るかもしれないけど、そのことで世の中が変わるかのように見せかけて、ごまかされてるだけで。それよりも、どんな人だろうが、次から次へと出てくるっていう。
有:雨後の筍みたいな。
い:そうそうそうそうそう。
有:誰が先導してるわけでもない。
い:ないのに、あっちですごいこと言ってるし、こっちでもすごいこと言ってる。オレは今「コール選手権」っていうのをやりたくてしょうがなくてさ。昔、酒呑む時のコール選手権あったじゃん。でも今のデモは「コールアンドレスポンス」。いいコールが次々に上がって、今日の最高のコール、例えば「山形県どこどこ駅前ですごいコールが出ました」って言ってみんながワーッと。でもそれをオレが先導しちゃうと、オレが潰されたり、捕まるじゃん。だって捕まえられるような法律を今つくってんだから、連中が。そこを引っこ抜けばそれで終わりじゃん。そうじゃないことをやりたいという意味では、その「へっぽこ」っていうのはオレは乗りますよ。
有:「ナメられてなんぼ」「あいつだってできるんだから、オレもできるんじゃね?」みたいな風に乗っかってくれた方が、雨後の筍状態で盛り上がる。やっぱり、すごい人がすごいことやってるなってなると、広がらない。
い:それが当たり前なんだよね。
有:ただ、聞いちゃうんですよね。

田中正造のすごさ
い:とはいえ、ほら、僕も君も大尊敬している田中正造先生、ああいう人もいるからね。
有:「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」とか。
い:「亡国演説」というのがあって、「政府があると思うと違う、国家があると思うと違う、このような状態はすでに亡国である」と言いつつ「学問を持つ若い諸君が真面目に取り組んでくれるならば、万が一にもこの国を滅ぼさずに済むかもしれない」みたいな演説なんだよな。
有:田中正造さんは、すごい人ですよね。天皇に直訴しちゃうし、でも人間性とかは、たぶん家族は振り回されて、かなり面倒くさいおじさんだったんじゃないですかね。
い:それはそうですよ。だって「足尾で鉱毒出てるぞ」って言って、その村に住みに行っちゃうわけだから。今の時代、それを「素晴らしい」とはオレも言えないよ。まわりの人間にはものすごい迷惑をかけて、苦しめてた。でも、ある一つの大きな目的のために動いているってなると人は褒める方にいっちゃうけど、迷惑かかってる人のことも考えなきゃねっていうことは大事。
有:そうですね。僕の場合は3.11が起きて、いろんな人にインタビューしている中で、小出裕章先生という、反原発の京大の先生への取材の時に出会いました。京都の研究所に行くと田中正造の絵が飾ってあって。当時はまだ「あ、これなんか見たことあるな」みたいな。それで、先生のお話を聞きながら「小出先生本当にご立派ですね。どういう方から影響を受けるとそういう考え方になるんですか?」と聞いたら、「正造さんです」と仰ったので、そこから入りました。
い:田中正造さんの何がいいって、もう死んでるんですよ。これが生きていると、さっき言ったカリスマとか著名人とか、その人が引っ張っていくから、その人についていけばいいから「オレは考えなくていい」というのが起きる可能性があるんだけど、田中先生は死んでるわけ。言葉だけが残ってる。その言葉っていうのは「どういう意味なんだろう」と、その人が考えなきゃ無理じゃん。
有:インスピレーションの源泉になりうる。
い:だから「死者はすごいな」と思う次第です。
「やきとん」にすべてがある?
い:この本を先に読ませてもらったんだけど、話がどんどんいろんなところに飛ぶから、まとめにくい本だよね。これ、書評を頼まれたらオレは断ると思う(笑)。目次を見ただけで読まなくてもわかる本ってあるんだけど、そういう本ってつまらないじゃん。で、これは目次を見ても全然予測できない(笑)。だから、まずはそれが魅力だと思う。
有:でも僕としては、話が飛んでる意識はないんですよ。
い:うそ? それはやばいよ。
有:一本太い筋が……。振り幅が大きいとは思っています。
い:そうなんですよ。例えば、なんで急に「やきとん」の話になっちゃったの? やきとんの話をずっとし続けてる。
有:やきとんに自分が言おうとしてる価値観が全部詰まっていることに気づいてしまって。
い:「そうなんだろうな」とは思ったけど、それにしちゃページ数が多いわけ。バランスが変なんだよ。でもその「バランスが変だ」ということは「大事なことなんじゃないか」っていうのは、オレがその時にハッとしたことなんですよ。だって「何言い出すの?」っていうことになるじゃない。そうじゃないと面白くないじゃん。「足るを知る」とか言ってて、「なんでいきなりやきとんの話になるの?」っていう。
有:やきとんで自分を満たすことができたら、余計なものに手を出す必要がなくなるっていうか。僕は先輩のお導きで、やきとんを覚えました。25年ぐらい前のことですが、最初はその独特の雰囲気の中で食べるのが「粋だな」「もしかしてオレかっこいい?」くらいのことだったと思うんです。でも、はたと気がついたのは、これ全然価値が認められてない。知る人ぞ知る、秘められた価値がそこにあって、これが気づかれると、世の中の価値の転換が起きそうだと。とにかく、多幸感がすごいので。
い:それは単純に好きだからでしょ、味が(笑)。
有:もちろんそうなんですけど、本当に幻の食べ物なんですよ。すごく足が早いし、潰したその日ぐらいにパッと出さないとダメであると。やきとんを出す店はその日のうちに全部売り切ることを前提にやらないとならないし、市場は平日しかやってない。人気店は、平日の最初の1時間ぐらいで人気部位がなくなっていく。平日仕事をしている人は食べられないんです。つまり、食するのに、ハードルが高い。
い:ほらね、だからやきとんの話が長いわけ(笑)。それを導入にして「生活の実践」にたどり着ける?
有:やきとんは東京、関東にしかない。生活は、地域に根差さないといけない。そこで「身土不二」という言葉を使ってるんですが、福島にいたときは福島のよさを必死に考えた。で、東京だったら東京のローカルの生き方があるだろうという話なんです。田畑なんかない、コンクリートに固められた東京のローカルって何だろう? ということを考えた時に、やきとんが燦然と輝いているわけです。
い:まだあまり気づかれていない、虐げられてるものだから。そりゃあ、輝いてるよ。つまり、東京ローカルの象徴がやきとんだと。じゃあほかの項目もどんな風に生活の実践に繋がっていくのか。やきとんだけに、まさに「テーマを串刺しにするんだ」と。そういうことが書かれている本なわけね。
※本書の編集者より補足
「誰でもできることしか書いてない」のがこの本のポイントです。著者の実践とそこから導き出された考え方を通じて、読者自身の生活や行動を問い直す契機となることを目指しています。「生命主義」という思想も、「足るを知る」という実践原理も、特別な能力や資格を必要としません。へっぽこでも、野良犬でも、自分で考え、半歩でも一歩でも進む。そして、そのような一人ひとりの小さな行動が積み重なることで、カリスマに依存しない持続可能な社会変革が可能になる。ぜひご一読お願いします。

<書籍概要>
『生活の実践 「足るを知る」と世界が治る』
著 有太マン
https://www.typeslowly.co.jp/portfolio-collections/my-portfolio/seikatsunojissen
書籍は全国の書店、ネット書店ほかで購入
Type Slowlyのオンラインショップでも販売中(「田中正造マン」ステッカー付き)
https://typeslowly.base.shop/items/143595054
