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ブランド名に込められた想いとは?
すべての製品を日本国内で生産・販売するアパレルブランド「rrrrrrrrr(ナインアール)」。
「人と環境にやさしい未来をつくる」をコンセプトに、受注生産によって在庫ロスを防ぎ、オーガニックコットンや再生素材など環境配慮型の素材を採用。さらに、生産背景や縫製工程をSNSやウェブで積極的に開示することで、ファッションの透明性を追求している。
ブランド名の由来でもある「9つのR」は、「Reduce(つくりすぎない)」「Real(生産背景の可視化)」「React(行動し続ける)」など、サステナブルな視点を多角的に実践する姿勢を象徴している。単なる理想や理念にとどまらず、それを具体的な行動に落とし込むことで、ファッション業界の常識に問いを投げかけているのだ。
サステナブルファッションを、続けられる形で実践する——。
そんな強い意志が、ナインアールのものづくりには込められている。
自分の“好き”を信じて、ファッションの道へ
—— 松田さんご自身がファッション業界に進まれたきっかけを教えてください。
明確な動機があったわけではないのですが、思い返すと中学生の頃から、教室で女性向けファッション誌を読んでいるような子どもでした。両親が教師の家庭で規律厳しく育ち、当時は自由への憧れからファッションに惹かれたのだと思っています。一方で、そんなファッション業界に進む道を受け入れてくれ、ずっと応援してくれている両親には心から感謝しています。
—— 実際に業界に入ってからは、どのような経験をされましたか?
大阪モード学園を卒業後、アパレル企業に就職し、管理や秘書的な業務を担当していました。華やかさに憧れて飛び込んだ業界でしたが、実際にはファッションが人を優劣で分けるツールになってしまっている現実を目の当たりにしました。
当時は夜中に会議が始まり、朝方に帰宅する生活が続き、家族と過ごす時間も取れなくなっていきました。結婚して子どももいたので、「このままでは家庭が成り立たない」と思い、地元・九州に戻ってセレクトショップで働くことにしたんです。
—— そんな中で、セレクトショップ「メルシー」を立ち上げる大きな転機となった出来事があったそうですね。
はい。それは2011年、東日本大震災が起きた当日、私はちょうど新幹線で関西に向かっている途中でした。姫路駅で3時間以上車内に閉じ込められ、新大阪に着いたときには周囲は大混乱。ホテルでテレビをつけて、ようやく状況の深刻さを知りました。
そのとき、「明日生きている保証はないのに、なぜ私たちは明日がある前提で生きているのか?」と考えるようになったんです。 「生きているうちにやりたいことをやろう」と決意し、すぐに退職届を提出しました。
—— その想いを、どのように形にしていったのでしょう?
震災後、佐賀県がいち早く行っていた物資支援のボランティアに3日間参加したんです。そこで出会ったのは、価値観が変わった人たちばかり。「誰かのために動く」という日本人らしさにも触れました。ボランティアが終わってすぐに銀行に事業計画を提出し、2011年8月にはセレクトショップ「メルシー」をオープンしました。
“嘘のない服づくり”を目指して動き出した第二章
—— 「メルシー」立ち上げ後には、EC販売事業なども展開されていますね。そこから「ナインアール」へと向かう中で、気持ちや考え方に変化はありましたか?
メルシーを立ち上げた当初は、妻と2人で、自分たちのペースでファッションを楽しむことが目的でした。でも、お客様が増え、スタッフを雇うようになると、「売上を上げなければならない」というプレッシャーが生まれました。
特に苦しかったのは、セールで値下がりすることが分かっているのに、「残り1点です」「今しかありません」といった煽り文句で定価販売を続けなければならなかったこと。佐賀という小さな街で、顔が見えるお客様に対して、強いセールスをしなければならない行為が、だんだんと自分たちにとって耐えがたいものになっていったんです。
ネットショップはZOZOTOWNの急成長と重なり、太刀打ちできない状況でもありました。そんな中、スタッフと「さよならメルシー」という会議を開き、セレクトショップを辞める意思を伝えました。学費を両親に出してもらった以上、「もう一度本当にやりたいことにチャレンジしよう」と決意し、自社ブランドの立ち上げに向けて動き始めたんです。
ナインアールが目指す、誠実なファッションのかたち
—— 2019年に「rrrrrrrrr(ナインアール)」を立ち上げられましたが、どのように始まったのでしょうか?
最初は既成のTシャツに、同級生のプリントスタジオでオリジナルプリントを施すところからスタートしました。販売が伸びるにつれて、自分たちで縫製工場と取引できるようになり、本格的にブランドとして始動しました。ナインアールの根底にあるのは、「お客様に嘘をつきたくない」という思いです。
—— ブランド立ち上げ以降、ご自身や業界全体の課題にどのような変化を感じていますか?
コロナ禍以降、アパレル業界のサステナビリティへの意識は大きく3つの段階を踏んできたと感じています。
第一フェーズは、嫌悪感の時期。サステナビリティという概念に対して懐疑的な声が多く、業界内でも「何を言っているんだ」と否定的な反応が主流でした。
第二フェーズは、「取り組まなければならない」という機運が高まった時期。特に欧州のテキスタイルメーカーでは、取り組みがなければ売れない状況が生まれ、日本の商社も対応せざるを得なくなりました。この時期に、商社からの連絡が増え、展示会にも参加できるようになったんです。テキスタイルデザイナーとの出会いも増え、「価値あるものを作りたい」という共通の想いを持つ仲間とつながれたのは大きな変化でした。
印象的だったのは、あるテキスタイルデザイナーの「私たちは頑張ってゴミを作る仕事をしている」という言葉。服の多くが最終的に着用されず廃棄される現実に、ものづくりの意味を問い直す声が高まっていました。
そして、第三フェーズは現在で、「サステナビリティという言葉は存在するものの、実際には誰も気にしていない」という形骸化の段階です。言葉としてのサステナビリティは残りつつも、実態が伴わなくなってきたと感じます。
需要と季節に応じて価格が変わる「プライスチェンジ」の仕組み
—— 2019年に導入された、気候と需要によって価格が変動する「プライスチェンジ」の取り組みは、どのような背景から生まれたのでしょうか?
「今着たいものを、今買いたい」と考えるお客様が多いため、正直、目に見える効果はあまり感じていません。でも、ブランドの姿勢として伝わることがあると思っています。
セレクトショップ時代、「価格が下がると分かっている商品を売る」ということに葛藤がありました。商品の本質的な価値は変わらないのに、トレンドや時期で価値が上下する。この違和感が出発点でした。そこでヒントになったのは、航空券の価格変動です。同じ移動でも需要と供給で価格が変わるなら、Tシャツも冬は安く、夏に近づけば高くなるのが自然かもしれない、と考えました。
福岡の縫製工場と築く、エシカルな協力関係
—— 福岡の縫製工場と直接組むことにした背景には、どんな想いがあったのでしょう?
私たちはサステナブルというより、エシカルな観点での協力関係を大切にしています。提携している福岡の縫製工場には、「従業員に適正な賃金を支払いたい」という強い想いがありました。以前は大手企業の案件が中心だったそうですが、価格面で安価な海外工場に仕事が流れるなど、不安定な状況が続いていたと聞いています。
私たちも、すぐに現場を確認できる距離の近さを大切にしたいと考えていたので、そうした想いが一致し、継続的な関係につながりました。工場では地元の主婦や学生が中心となって働いており、就業規則を守って定時に帰れる労働環境も整っています。
—— 生地選びでも “安心・安全” を徹底されていますよね。具体的にどんな方法で証明しているのですか?
ナインアールで使っている生地はすべて、日本の生地商社から仕入れた安心・安全な素材です。でも、私たちが「安全ですよ」と言うだけでは、なかなか信用されませんよね。だからこそ、口で説明するだけでなく、きちんと見える形で伝えるようにしています。
たとえば、縫製工場で服が作られる様子、生地工場で生地が織られる過程、生地の原料となる植物を育てる生産者の現場まで、すべて映像や写真で記録し、お客様にリアルな背景を届けています。
—— そうした“見える化”の発信には共感の声も多そうですが、実際にはどのような反響がありましたか?
サステナビリティをテーマに発信を始めた当初は、どうしても専門用語や英単語が多くなってしまって。「学級委員長みたいで堅苦しい」「難しいことを言って酔っているように見える」といった反応もありましたし、業界関係者からは「ファッションを否定している」といったバッシングを受けたこともありました。
この経験から、理論やロジックだけで語っても、人の心には届かないんだなと痛感しました。そこからはできるだけ分かりやすく、日常の言葉で伝えるよう意識を変えていきました。
ブランドの成長を支えた採用戦略と価値観の共有
—— これまでさまざまなご苦労があったと思いますが、「やってよかった」と思えた瞬間はありますか?
大きく2つあります。まず、会社の成長において最も大きかったのは、採用戦略の見直しです。
情報発信においては、ファッションをロジカルに説明できる力が必要です。そのため、論理的思考や社会課題への関心がある人材を採用する方針に変えました。予算を確保し、地方の国立大学や難関私立大学から優秀な学生に入社してもらえるようになり、早稲田大学のサステナビリティ団体とも連携できるようになりました。
ただ、その過程で壁になったのが“親ブロック”です。優秀な学生ほど「安定した会社に行ってほしい」と、親御さんから反対されるケースが多かったんです。それを解消するために、人事評価制度や研修制度を整備し、社会課題に取り組む会社であることを、学生自身がご両親に伝えやすいように可視化していきました。こうした仕組みが、会社の成長につながったと感じています。
採用の基準も、従来の「ファッションセンス」や「フォロワー数」ではなく、社会問題への関心、論理的思考力、コミュニケーション能力、そして家族との関係性の良好さを重視しています。
—— 採用制度の整備にあたって、ファッションの本質も見つめ直されたとか。
まず、ファッションとは何かを定義するところから始めました。ファッションの起源は、言葉が通じない民族同士が敵か味方かを瞬時に判断するための視覚的コミュニケーションにあると考えています。その後、国家や階級が生まれるなかで、身分を示す手段として発展していきました。派手な装いは高い身分の象徴であり、貧しい者や奴隷は布一枚、もしくは裸でした。
こうした、見た目による身分差の価値観は今も根強く残っていて、学校のカーストや、いじめの温床にもなっています。だからこそ、私は制服制度に肯定的なんです。ファッションに格差を持ち込まない、という考え方ですね。
一方で、ファストファッションはそれまで富裕層だけのものだったおしゃれを民主化しましたよね。それによりファッション産業は急成長しましたが、同時に、見た目に対する固定観念は依然として強く、カーストや格差の温床にもなっています。私たちのブランドには、そういった背景に問題意識を持ち、共感してくれるスタッフやお客様が集まってきてくれています。
共感を呼んだ、3つの人気アイテム
—— これまでで特に反響の大きかった商品を教えてください。
最も売れているのは、「プレミアムカラースラックス」です。私自身、スラックスを20本以上持っているのですが、「こうなっていたらいいのに」と感じた細かな不満を解消する形で作ったのがこの商品でした。初期から販売しているロングセラーで、現在も継続的にレビューをいただいている人気アイテムです。

2番目に人気なのが、「オールシーズンVネックワンピース」。その名の通り、季節を問わず着られる汎用性の高さが支持されています。
使用している生地は、ペットボトルを原料としたポリエステル糸から織られており、廃棄物を新たな製品の原料として再利用するマテリアルリサイクルによって生まれた素材です。上質な艶と軽やかな風合い、ストンと落ちる美しい質感は、元がペットボトルとは思えないほど。環境への配慮とファッション性を両立した、エコ素材の魅力が詰まった一着です。

そして、最近特に人気なのが「夏の制服セットアップ」。フォーマルすぎず、日常にもなじむ絶妙なデザインが好評をいただいています。天然繊維に化学繊維を組み合わせた素材を使用し、それを私たちは「ハイブリッドナチュラル」と呼んでいます。100%自然由来の素材では扱いが難しい場面もあるため、見た目や着心地と機能性のバランスを考えて設計しています。
私たちのメイン顧客は首都圏を中心に30〜40代の共働き世代。仕事を終えて保育園にお迎え、そこから夕飯の準備というように、時間に追われた生活の中で、洗濯機で洗える服が求められています。
見た目にはきちんと感がありながらも、楽に着られて、クリーニング不要。しかも生産背景にも配慮がある。そうした要素が支持されている理由だと思います。
ただ、すべての商品がうまくいったわけではありません。人気アイテムがある一方で、チャレンジングな試みが思うような結果につながらなかったケースもあります。
—— 顧客のニーズは意外とシンプル、ということなのでしょうか。
欲しい商品があって、結果的にそれがサステナブルだったらなおさら良い。あくまで後付けの価値なんですよね。だからこそ、サステナビリティやエシカルな姿勢は、前提として社内で共有しつつも、伝えすぎないことを大切にしています。中途半端に打ち出すと、むしろ違和感を生むことがあるからです。
どうせ買うなら配慮されたものを、というスタンスで商品を選んでもらえるのが理想だと考えています。
伝える前に、まず知ること。社内に根付かせたい、ものづくりへのまなざし
—— 今後新たに挑戦したいテーマや取り組みはありますか?
方向性は大きく変わっていませんが、ものづくりへの理解を深めるための取り組みは年々進化しています。例えば、社員がロゴ刺繍の講習を受けたり、新入社員が週に一度、福岡の縫製工場で実地研修を行ったりと、現場を知る機会を積極的に設けています。ものづくりを身近に感じながら働くことで、価値観が自然と育まれていくと考えています。
また、素材や生産背景に関する情報の透明性も重視しています。ただし、全員に専門知識を求めるのではなく、自ら商社や工場に確認し、一次情報を丁寧に集める姿勢を大切にしています。丁寧なやりとりを通じて認識のズレを防ぎ、信頼できる情報を蓄積しています。
情報開示においては、「どこまで見せるか」を見極める判断も重要です。すべてを出すのではなく、“知ったうえで、見せる・見せないを選ぶ”という姿勢が、結果として信頼性につながると考えています。
—— 社内で共通の価値観を醸成することは難しくありませんか?
採用が増えたことで、組織体制や意思決定のあり方も見直しました。ディスカッションを重ねながら、最終的な判断は私が行うことで、責任の所在を明確にしつつ、納得を得られる対話を心がけています。また、「次は自分でやってみて」と実務を任せる機会も増やしています。
一方で、価値の伝え方には課題もあります。現在は20代前半の社員が主力ですが、顧客層は30〜40代が中心。そのため、感覚のズレが課題になる場面もあります。これに対しては、勉強会や企画書のフォーマット見直しを行うほか、商品企画担当者が会員ランク上位のお客様に対してオンラインインタビューを行い、「シンプルだと思っていた服が“デザインが強くて買いづらい”と感じられていた」といった声を拾うことで、社内と顧客の感覚をすり合わせています。
“好き”を仕事にしても、ちゃんと暮らしていける未来に向けて
—— ブランドとして、松田さん個人として、描いている未来を教えてください。
ブランドとしては「ファッションが生み出す優劣をなくす」ことをミッションに掲げています。
また、会社としては社員の平均収入を上げることを、現実的な目標としています。全国から採用した社員に福岡で一人暮らししてもらっている中で、福岡の平均男性年収である450万円を、20代のうちに超えることを一つの基準に設定しています。20代女性がこの水準に到達できることは、非常に前向きな状況だと感じています。
ファッション業界では、やりがい搾取や給与水準の低さによる早期離職が問題視されますが、私はこの状況を本気で変えたいと思っています。この想いに共感してくれるブランドや企業が増えれば、ファッションが好きで入ってきた人たちが、安心して仕事を続けていける。そんな未来を作ることで、業界全体の健全化や持続可能性にもつながると信じています。