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ラナ・プラザビル崩壊から10年 ファッションは変わったのか
2013年4月24日。バングラディッシュのダッカでラナ・プラザビルが崩壊。1132人が亡くなり、2500人が負傷、約100人が行方不明となる歴史上最大の産業災害と言われる事故となった。ビルにはよく知られたファッションブランドの縫製工場が入っており、壁に入ったひびを何度指摘しても対応されなかったあげくに起きた事故だった。
事故と共に明らかになったのが、縫製現場での労働問題だった。多くの労働者が悪環境の中、低賃金で長時間働かされるなど労働者の人権が守られていなかったことが明るみになり、ファッション業界に潜む労働問題に関心が集まった。
そしてこの事故を機に、2014年、#whomademyclothes (私の服は誰が作ったの?)をキャッチフレーズに、ファッションブランドの取り組みの「透明性」を求めるグローバルキャンペーン「FASHION REVOLUTION」が始まった。
ラナ・プラザビル崩壊事故から10年。それは「私たちの服は、どこで、誰が、どんな状態でつくっているのか」を追い求めてきた10年でもあった。
私たちの服のつくられ方はどう変わってきたのだろうか。
FASHION REVOLUTION JAPAN(運営:(一社)unisteps)がラナプラザの事故発生から10年目の節目の年に実施をした「TWO DECADES OF HIDDEN FASHION」の展示に使用されたインフォグラフィックよりファッションの変遷を追う。
(注:内容によっては10年以上前のデータを過去に遡って分析する)
急速に増加した繊維生産量
まずは、世界の繊維生産量をみてみよう。2010年の繊維生産量は約7900万トン。それが約10年後の2021年には約1.4倍の1億1300万トンにまで増加した。1990年から2000年にかけては約1.2倍、2000年から2010年にかけては1.3倍と着実に増加率が高まっている。
要因は人口増加によるものと思うかもしれないが、人口増加率を重ね合わせてみると、2000年前後から人口増加率を上回る勢いで増加しており、今後も増え続けると予測されている。繊維生産にはベッドリネンなど服以外も含まれるため、繊維生産=服の生産ではないものの、ファストファッションが主流化しはじめた2000年頃から急増しており、ファッション業界の変化が大きな影響を与えていると思われる。
日本に注目してみると、2010年以降は高止まりしているが、1990年から2019年の過去30年間の間に衣服の供給量は2倍になった。
服の価格は半額に
一方で、服の価格は低下している。この1990年から2019年の30年間で服の平均価格は半額に低下。さらに環境省の調査によると、日本人1人あたりの服の年間購入枚数は約18枚、手放す服は約15枚*。つまり、毎年3枚だけ残して、残りは手放し、また新たな服を買っていることになる。
* 環境省、2022年度調査(2024年7月確認時)https://www.env.go.jp/policy/sustainable_fashion
服から服へのリサイクルは1%
では、手放された服はどうなっているのだろうか。
世界全体でみると、服から服へとリサイクルされている割合はわずか1%。約7割は埋め立てもしくは焼却処分されている。日本でも、環境省の調査によると不要になった服の約7割が可燃・不燃ごみとして捨てられており、リユース・リサイクルされる服は3割ほどしかない*1。
近年は、不要になった服の回収も進んでいるが、多くはアフリカや南米などの発展途上国に輸出され、最終的には埋め立てや焼却処分されている。それだけではない。現地では、先進国から送られてきた不要な服が街にあふれかえり、景観破壊や環境問題を引き起こすだけではなく、地元の縫製産業を圧迫するなどの影響も指摘されている。こうした状況は「廃棄物植民地主義(Waste Colonialism)」と呼ばれ、深刻な問題になっている。
安価に大量につくられ、捨てられていく服
まとめると、人が必要とする服の数を超えて、大量の服がつくられ、安価に販売され、わずかな使用期間を経て、多くはごみとして捨てられていくーーまさに大量生産・大量消費・大量廃棄の世界的ループが浮かび上がってくる。
さまざまな服が安く手に入り、次々と新しいものが着られるのは楽しいことかもしれない。しかし、この状況は環境や労働者の人権などさまざまな社会問題を引き起こしている。
次回は、ファッションブランドと気候変動について紹介する。
*1 環境省 2022年度調査(2024年7月確認)https://www.env.go.jp/policy/sustainable_fashion/