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昨年の元旦、能登半島地震のニュースは鮮烈な衝撃とともに思い出される。志賀町や輪島市で震度7が観測され、その後続いた火事や停電、断水、交通遮断などライフラインの深刻な断絶状況を経て、しばらくは見聞きしていたはずのニュースの先で、今いったい、現地はどのようなことになっているのだろう。

日本各地の被災地で支援活動を続けるLOVE FOR NIPPON(以下、ラブフォー)主催のCANDLE JUNEさんは、いの一番に能登に駆けつけ、今日に至る。ラブフォーの能登支部長・崎山ともみさんは当時を思い出しながら、「自衛隊より誰より先にここにいたのがジュンさんでした」と語る。
かたや、何より大事なことは「まず現地に入ること」と頭ではわかっていながら、今日までの自分に行動が伴っていなかったのは明白。支援に向かう車両が、崩れかけの細い山道で渋滞を起こし「ボランティアは控えて」というアナウンスが出たことなどは、今となっては言い訳だろう。
どうしても、ある種の後ろめたさを感じながらの出発となった。
何よりも、被災地ファースト
ジュンさんはいつも、社会の情勢を見据えての独特な、しかし芯を喰った言葉を選んでくる。今回まず響いてきた言葉は、外国人受け入れ云々や、隣国の大統領の発言に倣わず、改めて「『被災地ファースト』にしてもらいたい」という願いだった。それは悲しみの経験すべてを活かした、新たな町づくりのための「被災地ファースト」ということだ。

ジュンさんの支援活動は新潟中越地震を皮切りに、つまり約20年になる。以来長く各地の被災地を見てきた中で、みんな電力/UPDATERとのご縁は、ラブフォーとして東日本大震災と福島の支援がきっかけ。日本の自然災害は毎年数多あり、しかも近年より激甚化の傾向で「その身内や支援者たちの総数は、そろそろ日本人口の半数を上回るのではないか?」とジュンさんは言う。
特に昨今の自然災害の根幹には、私たち人間の過度な消費行動があるとされる。そこにこそ、気候変動を止めようという脱炭素の取り組みなど、みんな電力が再生可能エネルギーで貢献できる接点がある。
ラブフォーの現在進行形の取り組みである「月命日」。3.11から継続してキャンドルナイトや各種イベントを開催している毎月11日に、現在は元旦由来の1日も加わった。

去る2025年11月1日、内浦運動公園というまだ津波被害が残る会場で「LOVE FOR NOTO」が開催。曰く、同公園は多くの人に見てもらいたい、いろいろな意味でポテンシャルの高い象徴的な場所とのことで、ラブフォーも他の支援団体とも協力しながら、瓦礫や土砂撤去といった清掃作業を行ってきた。
当日は想いを寄せる企業がブースを出し、全国の被災地にラーメンを届けてきた福岡の秀ちゃんラーメンが提供され、福島でも毎年3.11に実施している、新潟三条凧協会の皆さまによる凧あげもあった。能登高校の生徒たちの想いが凧に描かれ、空高く舞ったのだ。

前述のともみさんは、現在の能登の景観について「車で走っていても、町に『あそこもここも、前回まではあったところがない』という場所が増えました。まだこれから取り壊すところもいっぱいあって、裏通りにはスカスカの場所があります。風通しがよくなり過ぎちゃって、寂しいんです」と語る。「全然変わってしまって、もうしばらく経つと、ここに何があったかさえわからなくなると思います」と。
そこに、ジュンさんが繰り返し口にする「悲しみから喜びへ」。つまり「能登で起きたこと、現在進行形の被災や問題をなかったことにせず、皆で知り、話し合い、『能登モデル』と言われるような新たな取り組みが支援活動の中でスタートできたら」。さらに深堀りすれば「『おたがいさま』の合言葉で繋がる人と人。被災地域の方々と、また次の被災地に愛を届ける」ということに集約されていく。

11月1日に続いて2日に開催されたシンポジウムでは、まさにそういった発言と願いが実現しているような場面が多々あった。
参加されていたのは、能登ヒバの価値を追求する地元の老舗材木屋の方。地元の役場で働かれてきた方。全国各地から、やる気と体力溢れる学生たち。
中でも、それこそ車で10時間ほども運転して、福島から能登まで来たという方々の言葉が印象的だった。「福島が大変」と言って今まで来れなかった。「すみませんでした」と、それぞれに被災体験からやってきたこと、語れることを胸に、能登でこそできる何かを見つけにきているようだった。
はじめての能登は、そもそもニュースで支援やボランティアの不足ということを多く耳にして、今もかなり大変なんだろうと思っていた。しかし地元に入ると逆に力強く、頼もしい方々に出会う機会が多かった。それは、加藤登紀子さんの言葉で「能登には貴重な日本の資源がある」ということに表れているだろうか。
都市部とは真逆の豊かさ

海の幸、山の幸が豊富な能登には、自分たちでなんとかできる、DIY精神に溢れ、地産地消を実践している方々が多い。自然資源が豊かということは、神さまへのお願いや感謝の機会も多く、おのずと地域ごとに祭りがある。ということは、それに付随して横に繋がるコミニュティが根付いている。
問題は、そうではない地域で災害が起きた時。またはそれがいくつかの地域で同時に起きた時、果たしてこの日本という災害大国は、しっかり対応することができるのだろうか。
ラブフォーが体現する、「能登スタイル」が今後の復興に必要ということの鍵は、そのあたりにあるのかもしれない。つまり、災害支援に携わり、思考停止しない面々が常に集うクセをつける。日本人にありがちな、「自分よりも大変な人がいる」と言いながら、日常に戻ると災害について語らないことをやめる。それではデータが集まらないから、災害は繰り返されているのに、支援や復興のノウハウが蓄積されない。災害大国日本の悪しき風習を変えるだけで、世の中、世界はもっと良くなるはずだ。
本当の目的は「被災地域から日本を変える」こと。

ともみさんは能登に生まれ、成長に伴い県外、国外にも住んで、そういった経験の先で改めて地元の豊かさに気づき、戻って来たタイミングで被災した。
「私はここの『何もない良さ』に気づいて戻ってきたので、どちらかと言えば『このままでいて欲しい』とは思っています。だけど、子どもの頃は『何もないな』と思っていました。だから、もっと便利なものが入ってきて『こうだったらいいのに』と思ってる人たちだっているはずです。
今回すごく思ったのは、どうしても町の外に出ざるえなくなった方々が、移る先は避難所や、家族が石川県のもう少し都市に近いところに家を借りてくれたとか、旅館みたいなところで、でも結局都会に行ったら何でもあるけど、山もないし海もない。それで『することがなくなっちゃって』みたいな話をすごく聞きました。
震災は、最後まで『ここで生きていこう』と決めた人たちにとって、地域の良さを再確認する機会にはなったんですが、ちょっと大き過ぎたんです」。
そんな渦中、ラブフォーが県外から支援に来て、たくさんの被災地を見てきた経験から伝えてくれたことがある。

ともみさんは「今こそ、動き出すチャンスではないか。それも、どこにでもあるようなモノを持ってくるんじゃなくて、ここだからできる、この土地の良さをアピールできれば、ただただ寂れていく場所ではなくなる。放っておけばたぶん、ここもどんどん人口減少して、いずれは本当になくなる場所だから」と続ける。

更地のままだった輪島の朝市。
路地に入れば散見された、倒壊したままの家屋群。
ETCが無効で、片道通行だったり、いまだ修復できず崩れたままの高速道路。
地震の影響で、コンクリートでも地中からの隆起を感じられる山道を走りながら、ともみさんの笑いながら言っていた言葉=「最初金沢からでも『車で14時間かかった』とか言っていたのが、徐々に徐々に『8時間で行けた』『4時間ぐらいになった』って」が頭の中でリフレインされた。
