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ファッション, |2025.09.26

約140年続く京都の履物匠「ない藤」から生まれた、「OJOJO NAITO」のロングライフデザイン

140年以上続く京都・祇園の履物匠「ない藤」から生まれたブランド「OJOJO NAITO」。伝統的な履物の構造をベースにしながらモダンなデザインに昇華し、修理や交換が可能なロングライフデザインを体現している。海外からも高い評価を得ているものづくりの背景には、どのような哲学や取り組みがあるのか?「ない藤」5代目当主であり、OJOJO NAITOの生みの親である内藤誠治氏に話を聞いた。

原稿:藤井由香里

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“職商人の精神’’を現代に息づかせる、OJOJO NAITOの原点

——まずはじめに、140年以上続く「ない藤」の歴史の中で、変わらず大事にされてきたことについて教えてください。

内藤氏:かつて、先代が私たちの仕事を「職商人(しょくあきんど)」と呼んでおりました。今でもそのことを大事にしております。職商人というのは、お客さんとコミュニケーションを重ねながら手を動かして仕事をする人のこと。お客さんの注文を職人が直接聞いて、それを物に反映させていく。コミュニケーションとものづくりが一体化しているのが特徴です。

一般的な大量生産の現場では、生産と販売の役割が分かれてしまうことがあります。その場合、在庫や販売計画に合わせてものづくりが進み、お客様一人ひとりの要望が届きにくくなることもあるんです。私たちはそれとは異なり、目の前のお客様とやりとりを重ねながら作ることで、品質や責任を自然に担保できるのだと思います。

私自身も今でも百貨店の売り場に立ちますし、企画やデザインに携わっています。こうした直接的なコミュニケーションこそが、ものづくりを守り続けてきた大きな要因だと感じています。

——2013年に「OJOJO NAITO」を立ち上げられた経緯を教えてください。

内藤氏:もう13年前のことです。一般的には売り上げが落ちると新商品を開発して対応するものですが、私はその流れに逆らって「同じものを作り続けること」にこそ価値があると思っています。

きっかけは、インドへの旅でした。礼拝堂や食堂では靴を脱ぐ習慣があり、世界中から集まった人々の履物が何百足も並んでいたのですが、不思議なことに「これが欲しい」と思えるものが一つもなかった。そこで初めて、自分が心から魅力を感じる履物がない現状に気づいたんです。

着物屋さんが減り、和装文化が衰退していく中で、その基盤となる履物を改めて作り直すことが、自分にとって良い仕事になるのではないか。そんな疑問から、世界中で愛されてきたビーチサンダルの原点に立ち返り、新たな形を模索し始めました。

暮らしから生まれた知恵を今に活かす、修理が前提のデザイン

——OJOJOは日本の履物の構造など伝統技術を大切にされていますが、それを現代のライフスタイルに合わせるために、どのような工夫や考え方をされてきたのでしょうか?

内藤氏:この夏、アメリカ人の若い方に「どうすればOJOJOのように修理できるものを思いつくのか?」と聞かれました。私は「元々そうやんか」と答えたんですが、彼らの国では建国とほぼ同時に産業革命が始まり、大量生産・大量消費が当たり前になった。すると暮らしから自然に生まれた道具ではなく、資本や利益を優先するものづくりが主流になります。

しかし、うちの履物には縄文・弥生時代から受け継がれてきた知恵が息づいています。三つ穴に紐を通す草履の構造は、2000年の歴史の中ですでに“答え”がある。私たちはその構造や使い方を見直しながら、原点に立ち返って作り続けています。

Screenshot

新しいアイデアを生むというよりも、私たちは暮らしから生まれた答えを現代に生かす立場です。だからこそ、色やパーツを自由に変えられる“売るためのデザイン”を意識しているわけではありません。四つのパーツ構造も、修理や交換を前提にした結果にすぎないのです。

昔は工業製品もなく、コンビニで安く道具を手に入れることもできませんでした。一度作ったものを捨てる理由がなかったんです。だから、必然的に「長く使う」「修理する」ことが当たり前だった。古くから作り続けられてきた道具は、自然と修理できるようになっている。その知恵こそが、私たちのものづくりの根幹にあります。

足本来の働きを引き出す、OJOJOの独自構造

——OJOJOの履物には、どんな特徴があるのでしょうか?

内藤氏:OJOJOは花緒・インソール・アウトソール・前つぼの4つのパーツで構成されており、各パーツを交換できる独自構造が大きな特徴です。たとえば履き心地やサイズ感が合わなくても、パーツ単位で調整してサイズを変えることができます。実際に「28cmを作ったが少し大きかったので26cmに直したい」という要望に応えたこともあります。長く愛用してもらうための柔軟さが、OJOJOならではの魅力だと思います。

写真提供:D&DEPARTMENT PROJECT。写真はD&DEPARTMENT別注「OJOJO 01 LIFESTOCK」別珍仕様のもの。このように、花緒・インソール・アウトソール・前つぼはすべてのパーツが交換可能で、パーツ交換の際はカラー変更もできる。

この構造は「足本来の働きを取り戻す」という考え方にもつながります。革靴は軍隊の長距離行軍、スニーカーはスポーツ用に設計された性能の高さゆえ、日常生活で履き続けると体を過剰にサポートし、筋肉や体の機能を弱めてしまうことがあるからです。

OJOJOは日本古来の履物のように、足本来の動きを引き出し姿勢を整えることを目指しています。開発中、私自身もかかとが少し出る小さめの履物を試した際にその動きやすさを実感したことが、大きなヒントになりました。現代の靴が「体を守る道具」だとすれば、OJOJOは「体を育て、自然な姿勢を取り戻す道具」。日常で無理なく使え、体のバランスを整える一助になればと考えています。

色と素材選びから始まるものづくり

——OJOJOでは多彩な色や素材が使われていますが、そのカラーや柄・素材はどのように選び、どのようなプロセスで商品化されているのでしょうか?

内藤氏:OJOJOでは、色や柄をお客様の要望から直接つくるというより、私たちが「この素材なら」と選んでご用意しています。印象的な例として、「Dr. OJOJO」というモデルがあります。外反母趾で悩む女医さんが「診療中に安心して履ける形がほしい」と相談してくださり、指先を覆うデザインを追加しました。お客様との対話から生まれた数少ない特別なケースですね。

——通常のラインナップやシーズンごとの新色・新素材は、どのように決めているのですか?

内藤氏:基本的には私自身が見つけてきた生地や、「ない藤」で蓄積してきた膨大なアーカイブから選びます。白物家電のように「扇風機を140年作り続けた人」がいないのと同じで、履物づくりを長く続けてきた知識と素材のストックが大きな財産なんです。形は機能が優先されるため13年間変わらず、毎年のコレクションという発想で作ることもありません。着物と同じように、時代を超えて成立する形だと考えています。

——花緒やアウトソールには特殊なゴムなど独自素材を採用されていますよね。

内藤氏:花緒には哺乳瓶にも使われる特殊ゴム、アウトソールにはタイヤ用の高強度ゴムを採用しています。天然ゴムの専門家など、それぞれの素材のプロフェッショナルと出会い、使い方に合った素材を教えていただきながら改良を重ねてきました。

前つぼには哺乳瓶の乳首にも使われるやわらかな特殊ゴム、アウトソールには耐摩耗性に優れた合成ゴムを採用。花緒には摩擦に強く伸縮性のある素材を、足裏が当たるインソールには特殊コルクを使用し、耐久性と足への負担軽減を両立している。

世界と世代を超えて愛される、暮らしを支える道具

——最近はニューヨークやパリでの展示も行われていますが、海外での反応や世代を超えた広がりについて、特に心に残っている出来事はありますか?

展示会を通じて、とくに海外の方からの注目度の高さを感じています。ニューヨークやロンドンでの展示では、日本文化への関心やリスペクトを持つ来場者が多く、新しいことに挑戦する姿勢が印象的でした。一方で、日本のお客様は日常の暮らしの延長としてOJOJOを選ばれることが多く、目的や視点に少し違いがあります。とはいえ、新しい世界への好奇心は国境を問わず誰にでもあるものだと感じています。

最近嬉しかった出来事があります。80歳の女性が友人とともにOJOJOを試されたのですが、履いた瞬間に長年悩んでいた膝の痛みが和らぎ「若返ったみたい」と笑顔を見せてくださったのです。20代から80代までと幅広い世代にご愛用いただいており、使う理由も人それぞれですが、どの年代の暮らしも支える道具になっている。それが私にとって何よりうれしいことです。

80歳のおばあちゃんが履いている姿を見て、若い人が「かっこいい」と憧れるなんて、そんなシーンはなかなかありませんよね。OJOJOが世代を超えて生み出すつながりを、これからも大切にしていきたいと思っています。

受け継ぎ、続ける。その先に未来がある

——最後に、今後の展望や、伝統工芸・ファッション業界に向けたメッセージをお願いします。

内藤氏: 工芸は本来、お金が中心でなかった時代に生まれた仕事です。しかし、いつの間にか「お金が真ん中」という価値観が当たり前になってしまった。だからこそ今、何を大切にするべきかを問い直したいと感じています。

私が大切だと思うのは、「自分という存在をどう他者に生かしていくか」という視点です。これは工芸家に限らず、料理人でもライターでも同じ。培われてきた伝統や技術を自分の中に取り込み、原点から離れずに仕事を続ける力こそ、これからの時代に必要なことだと思います。

世界は資本主義の変化やテクノロジーの進化によって大きく動いていますが、どんな職業の人も「他者にどう還元していくか」を軸に、培ったものを未来へつないでいく。その姿勢こそが、次の世代に文化を手渡す一番の方法ではないでしょうか。

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ライター/エディター
藤井由香里
ファッションメディアのライター/エディター、アパレル業界での経験を経て、2022年に独立。現在は、ファッション、美容、カルチャー、サステナビリティを中心に執筆・編集を手がける。Webや紙媒体のコンテンツ制作に加え、広告制作、コピーライティング、翻訳編集など、多岐にわたるプロジェクトに携わる。

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