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ニュース|2025.08.29

青春恋愛×気候変動という異色なテーマに挑戦。若い世代を中心に共感を集める「温帯の君へ」監督 宮坂一輝インタビュー

気候変動をきっかけに恋人とすれ違う。そんな映画があると知り、劇場へ足を運んだ。環境のための行動が、ときに相手との溝を生むことがある。そんなとき、どんなふうにコミュニケーションを取ったらいいのだろう?映画「温帯の君へ」は、まさにその心の揺れ動きを描いている。

2025年9月より拡大レイトショーが決定。制作に5年を費やした若き監督・宮坂一輝さんに、その想いと背景をじっくりと伺った。

原稿:上杉沙樹

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宮坂一輝(みやさか かずき)

1999年生まれ。埼玉県出身。中学生の頃、文化祭の出し物で映像を撮った経験から映画製作への興味が芽生える。大学時代に映画サークルにて活動し、2年生の時に初長編監督作『(Instrumental)』を公開。大学時代から5年の時間をかけた「温帯の君へ」がインディーズ映画界の登竜門でもある第18回田辺・弁慶映画祭で俳優賞を受賞。2025年6月に劇場公開。普段は会社員の傍ら映画製作を行う。

「温帯の君へ」あらすじ

大樹と翠は同じ大学に通う恋人同士。ある夏の日、二人は気候変動をテーマにした現代アート展を訪れるが、感じ方はまるで正反対。淡々と受け止める大樹とは対照的にひどくショックを受けた翠は、やがて大学生活動家の美玖が率いる環境学生団体、CAFF(キャフ)の活動に参加するようになる。当初戸惑いつつも翠の活動を見守っていた大樹だったが、考え方の違いが浮き彫りになるにつれ、二人は次第にすれ違い始めてしまう──

恋愛の狭間で、伝わらないもどかしさが教えてくれること

──気候変動を恋愛というテーマに託したのはどういう背景があったのでしょう。

もともと「気候変動に関する映画を作りたい」という思いがずっとあって、同時に「恋愛映画も作ってみたい」と考えていました。だったら、このふたつを掛け合わせることはできないか、と思ったんです。ただ、そのまま組み合わせるのは簡単ではなくて、かなりリサーチを重ねました。

僕としては、「気候変動をテーマにしているから」といって、構えられたり、敬遠されたりしたくなかった。誰でも見て楽しめる作品でありながら、きちんとそのテーマに向き合っていること。逆にエンタメに寄りすぎて、社会課題をただの“舞台装置”として扱うようなことにはしたくなかったんです。

たとえば、「ちょっとシリアスさを出したいから、社会問題を背景に置いとこうか」みたいに見えるのが一番嫌だった。真剣に社会課題に向き合いながらも、あくまで映画として“面白い”ものにする。そのバランスをずっと意識していました。

── そのバランスを保つのは、難しそうですね

いや、本当に大変でした(笑)。脚本は大学生のときから書き始めて、完成までに3年くらいかかりました。

── 気候変動をテーマにしようと思ったきっかけは?

僕たちの世代って、「環境世代」だと思っているんです。小学生のころから「石油はあと40年で枯渇する」とか、「大気汚染が進んでいる」とか、そういう話が身近にあって。そうした情報が刷り込まれて育った世代だと思うんです。

でも、その問題に対して自分が何をすればいいのかは、ずっとよくわからなかった。問題意識だけが残っていて、モヤモヤがずっとあったんですよね。

もう一つ、直接的なきっかけもありました。大学時代に自主映画を劇場公開したとき、初日に空調が故障してしまって。気温の高い日で、劇場が蒸し風呂のようになってしまったんです。

「気候変動って、やばいな」と肌で感じた瞬間でもありましたし、自分の人生で一番大事な瞬間を気候のせいで潰された、という感覚もありました。それで、「これはやっぱり何かアクションを起こさなきゃいけない」「映画で作った貸しは、映画で返そう」と思ったんです。

── 「温帯の君へ」では、気候変動をめぐるすれ違いが、恋人同士の関係にも影響していきます。これは大学院での研究テーマともつながっているとか。

そうなんです。大学院では理論物理学を専攻していたんですが、副専攻で「科学コミュニケーション」を学んでいて。たとえば気候変動や原発のように、科学が絡んだ社会課題を、どう一般の人たちに伝えていくかを考える学問です。

その中で有名な理論に、「垂直モデル」と「水平モデル」という考え方があって。垂直モデルは、科学者が“知識を持っていない市民”に向けて、一方的に情報を与えれば理解されるはずだというもの。

一方の水平モデルでは、相手の文化や価値観も尊重しながら、対等な関係の中で科学の情報を伝えていく。知識があるかないかではなく、どう関係を築くかに重きを置いているんです。

「温帯の君へ」でも、大樹というキャラクターがまさにそうで。最初は翠に対して「よく知らないのに、気候変動に飛びついてる」と冷ややかに見ている。それって垂直モデル的な見方なんですよね。でも物語が進む中で、彼は少しずつ翠の背景や価値観を理解しようとするようになる。それは、水平モデルに近づいていくプロセスでもあるんです。

この構造を脚本にも反映させながら、最終的にはこの映画をベースにして、科学コミュニケーションの修士論文も書き上げて、卒業しました。

どっちつかずの自分だからこそ描ける「分かりあえなさ」のリアル

──宮坂さんご自身は、翠のように直感的に動くタイプと、大樹のように一歩引いて俯瞰するタイプ、どちらに近いですか?

言うと評判が下がっちゃうかもしれないですけど(笑)…正直、どっちもあると思います。
自分の中には、たとえばトキシック・マスキュリニティ的な部分も、たぶんある。でも、翠みたいに「目の前の問題に何かしたい」と思う部分もあるし、榎本みたいに「金が好き」っていう、ちょっと資本主義的な思考もある。

周りにも、それぞれの考え方に強く傾いてる人がいたので、そういう人たちが腹を割って話したらどうなるんだろう?っていうのには、ずっと興味がありました。
分かり合えない前提だけど、それでも何となく一緒にいる。考え方が違っても、1つの方向にまとまらなくても、少しでも「より良い方」へ進もうとする——。それこそがコミュニケーションの真髄じゃないかと思っています。

──異なるタイプのキャラクターたちの心情を、あれだけ細やかに描けたのはなぜでしょう?

一番難しかったのは「美玖」ですね。自分から一番遠い存在だったから。
彼女が所属するCAFF(環境学生団体)みたいな場所にも入ったことがなかったので、ちゃんとリアリティを持って描かないと、そういう活動をしている人たちに失礼だと思って。実際にそうした団体の人たちに取材したり、活動に参加してみたり、グレタさんのドキュメンタリーを観たり、本を読んだりして、彼女のキャラクターをつくりあげていきました。一方で、榎本や翠みたいなキャラクターは、自分の中のある側面を増幅させてつくっています。
自分の中の葛藤を、登場人物同士の会話に置き換えて対話させる。そうやって、あの世界観を形にしました。

──登場人物全員が、ある意味で宮坂さんの分身だったんですね。

まあ、全員僕であり、でも僕じゃない。そんな感じですね(笑)。

──少し恋愛の話になるんですが、恋人に求める条件として「社会課題への関心」や「政治について話せること」って、大事だと思いますか?

社会的思想も書いてあるマッチングアプリがあっても面白いと思います(笑)。

でも、同じ考えの人たちだけで集まるのって「エコーチェンバー」なんですよね。
それよりも、考え方の違う人と一緒にいる方が、しんどいこともあるけど、豊かだとも思う。

ただ一方で、社会に対して無関心であることを“その人のせい”にできるのかというと….むしろそれは、教育の敗北だと思います。
政治や宗教をある意味タブーとして扱ってきた日本の教育の責任でもあるし、そういうことを意識しなくても生活できる国だった、という豊かさの象徴でもある。

社会課題に強く関心を持っている人が、無関心な人を見て「なんで何も考えていないんだろう」と思ってしまうのも、自然だと思います。でも、どうしたらそういう人たちに届くのか? ってことを、この映画を通してずっと考えていました。

──気候変動を「自分ごと」として捉えてもらいたいという意図もありましたか?

自分ごと、というのもありますが、最終的には“気候変動を日常に溶け込ませたい”という想いがありました。
当たり前に存在していて、否定できないものとして描きたかったんです。

だからこの映画では、気候変動の説明はほとんどしていません。
すでに私たちの日常の中に気候変動はあるし、気にする人もいれば、気にしない人もいる。そのあくまで“生活と地続き”のなかで気候変動をどう捉えるか。
「生活」と「気候変動」は切り離せないものなんだ、という感覚に、少しでも想いを馳せてもらえたら嬉しいです。

また、最低限のメッセージとして伝えたいのは、“行動している人を攻撃しないこと”です。
たとえば気候変動に取り組んでいる人に対して「でも肉は食べてるんでしょ?」と突っ込んでしまう。
あるいは「関心があるかないか」で人を線引きしてしまう。

そうやって“どちらが正しいか”という視点を持ち続ける限り、裾野は広がっていかないと思います。

──関心層と無関心層をどうつなげるか、ということですね。

そうですね。科学コミュニケーションの領域でも、その「橋渡し」が一番難しいんです。
科学に無関心な人に向けて科学イベントを開いても、どうも興味を持ってもらえないことが多い。でも、それって「なぜ無関心なのか」を理解できてないから。

たとえば「疑問を持つのは当たり前」と思う人からすると、「なぜ疑問を持たないの?」と感じてしまう。でも逆に、「なぜ持たないんだろう?」と考えてみてほしいんです。問題に関心がないわけではなく、ただ“鍵”を持っていないだけ。この映画が、その隔たりを乗り越えるヒントになれたらと思っています。

カーボンオフセットで「言葉の責任」を形にする

──エンディングロールで「カーボンオフセット済み」と出たとき、思わず心が躍りました。まだ日本ではあまり浸透していない中で、どのような経緯で実現されたのでしょうか?

一番の理由は、バカにされたくなかったんです(笑)。
「気候変動について映画で語るくらいなら、植林でもした方がいいんじゃない?」とか、「撮影でCO₂出してるのに何を言うんだ」って言われるのが嫌だった。

実際にはそう言ってくる人はいなかったんですけど、やっぱりそういう突っ込みができるくらいには、このテーマには言葉の重みがあると思っていて。だからこそ、ちゃんと整合性を取っておきたかったんです。

──映画の撮影は、CO₂を多く排出するんですか?

そうですね。たとえば撮影機材を運ぶ車だったり、スタッフの移動も大きい要素です。
海外の映画だと、スタッフやキャストが大量に飛行機で移動するし、どこかの砂漠とかで撮影する時には、平気でその場に家を建てて、撮影が終わったら壊すとかもある。
つまり、映画って規模が大きくなるほど、環境負荷が上がっていくんですよ。

だから僕は、こういう問題を題材にするなら、せめて自分たちの現場は“ネットゼロ”でやりたいっていう気持ちが強くありました。

──CO₂の排出量って、どうやって算出されたんですか?

ちゃんと出そうとすると、たとえば車の走行距離を正確に出すとか、ものすごく大変なんです。
でも、どう計算すれば「ある程度正当性を持って言えるか」を調べていって、最終的には概算で算出する方法にたどり着きました。

具体的には、「撮影に関わっていた全員が、その期間中に通常の生活をしていたとして排出するであろうCO₂をオフセットする」という考え方です。
その上で、概算で出した量の2倍くらいをオフセットしました。だから、たぶん大丈夫だと思います(笑)。

調べていく中で、人間が1年間に排出するCO₂は約2トンくらい*といわれていて、それを7,000円でオフセットできることが分かったんです。
つまり、年間7,000円払えば“カーボンニュートラル人”として生きられるっていう、ちょっとしたサブスクのような感覚。

それを知れたのは大きかったです。でも同時に、人間ってこんなにCO₂出してるんだ…とも思って、ちょっとショックでした。

*一人当たりの二酸化炭素排出量 (家庭部門) https://www.jccca.org/download/65505

「違う考えの人と、同じ映画を観る」という希望

──気候変動に関心がない人にもこの映画を観てほしかった、というのが大きな目的だったのでしょうか?

はい、それは本当に大きな目的でした。
でも同時に、すでに関心を持っている人たちに対しても、「ちゃんと見てるよ」と伝えたいという気持ちも強くありました。

そういう人たちって、ある意味で社会の中で“透明化”されてきてしまったと感じていて。
エンタメ作品の中ではほとんど描かれてこなかったし、描かれてもステレオタイプ的な存在としてしか表現されてこなかった印象がありました。だからこそ、その人たちの中にある“人間性”をちゃんと描きたかったんです。

気候変動に関心を持っている人も、何か特別な人間ではなく、自分たちと地続きに存在している人間であって、たまたま関心を持っているというだけ。すべての生活をその活動に振り向けてるわけではない。

そういう実感が伝わったのか、環境系の学生団体の方々から熱いコメントをいただけて、本当に嬉しかったです。また“リアル”を描きたいと思い、団体ごとの色の違いも意識していたので、「こういう人、うちの団体にも絶対いる!」といった感想をいただけたことも、とても嬉しかったですね。

──劇場にも幅広い層が来場されたとか。

そうですね、実際どのくらいが“関心層”だったかは分かりませんが、明らかにそうじゃない人たちも来ていたからこそ、あれだけ席が埋まったんだと思います。そして、そういう人たちが期せずとも同じ空間で同じ映画を観ているということ自体が、すごく大切だと感じました。
もちろん、そこですぐに新しいコミュニケーションが生まれるかは分かりません。でも、日常では絶対に交わらないような人たちが同じ空間で同じシーンを見て、同じタイミングで笑っている──。
それって、何かの一歩だと思うんです。

──世代によって、映画の受け止め方にも違いがあったと聞きました。

ありました。上の世代にいけばいくほど、大樹を擁護する声が多かったんですよ。
あえて露悪的に描いたはずの彼を「優しい彼氏ですね」と言われることもあって。
一方、若い世代の間では大樹はモラハラ気質だとか言われていて、見事に感想が分かれましたね。

それってやっぱり、ジェンダー観の違いなんだと思います。上の世代には、男性優位な社会構造がある意味で“馴染んでいる”部分があるのかもしれません。

「いや、ちゃんと謝らなきゃいけないのは大樹なんですよ」とは、しっかり伝えました(笑)。でもその気づきは、次の作品にも活かされる発見でした。

──映画を作る中で、宮坂さん自身にも変化が?

かなりありました。
気候変動というテーマをずっと考え続ける中で、自分の中にも「意識高い系」への忌避感があったことに気づいたんです。

僕は、おそらく活動家側でもないし、全く無関心でもない、その“真ん中”にいる人間です。だからこそ、どちらにも寄り添えるような映画をつくるというのが、自分の役割だと感じました。

ある種“中間”にいる人って、生ぬるい存在に見えるかもしれないけど、でもそういう人が両者の間に橋をかける存在になれる。
それこそが科学コミュニケーションの本質にも通じていると。

──橋をかけるために、どんな姿勢が大切だと思いますか?

「相手が間違っている」と思わないこと。
これが一番苦しいんですよ。なぜならそれをやるのは大抵、“正しい”とされる側の方だから。

気候変動に関心がある人ほど、無関心な人を「なぜ考えないんだ」と責めたくなってしまう。でも、その構図こそが対立の根源になってしまう。

だから、共通言語は何か?を考える必要があるんですよね。
問題を直視していると「もう手に負えない」と絶望してしまいがちですけど、その問題が引き起こす“人と人との対立”に目を向けると、案外変えられるものってあるんじゃないかと。

たとえば大樹だって、気候変動に真正面から向き合ったわけじゃない。
翠との関係性の中で、自分の態度や哲学が少しずつ変わっていった。その人間の変化にこそ、僕は希望があると思っています。

「アートは地球を救うのか?」は自分自身の命題

──映画の中にも出てきた「アートで地球を救う」っていう言葉、どう思いますか?

うーん、これは永遠のテーマですよね。僕もずっと考えてるんですけど、芸術って結局何の役に立つんだろうって。
有名な監督とか作家がいくら「アートで世界を変える!」って言っても、戦争は起きるし、問題はなくならないわけじゃないですか。
だから、正直「意味ないのかな?」って思っちゃう時もあります。

でも僕は、アートって車輪の一つみたいなものだと思ってます。社会を動かすには資本主義の仕組みもいるし、ビジネスもいるし、アクションも必要で、それらがつながっていくことが大事。
だから、どうやったらアートと他の力を組み合わせて、本当に社会を動かせるかっていうところに希望を感じてます。

実は今、新しくSFの脚本を書いてるんです。
このままだと気候問題もそうですけど、住めなくなっちゃう未来が確実に来る。資源の取り合いとかも激しくなるし。
それで「じゃあどうやって解決するんだ?」って真剣に考えたときに、ITがヒントになるんじゃないかって思ったんですよね。
まあ、僕もITの仕事してるからっていうのもあるんですけど(笑)、映画の良いところは現実から飛躍できるところだから、無理でしょって思われそうなアイデアも形にできるのが楽しみです。

あと、今一番個人的に気になってるのはガザのことです。

人を殺してはいけないのは、気候変動どころではない、もっと基本的な次元の問題で、全世界として相手にすべき問題が後退しているように感じている。

今後も社会課題を取り入れた映画を作りたいですが、やっぱり面白くなきゃいけない。どんな社会課題を扱うにしても、エンタメであることを忘れたくないし、そこが問題の脅威があるなしに関わらず届くための最低限の条件になると思います。

──改めてタイトルに込めた想いを教えてください。

「温帯」っていうのは、日本の気候を指す言葉です。
日本では気候変動に懐疑的な人はあまりいないけれど、みんなが積極的に行動しているわけでもない。
海外から見ると、そういう点で少し特殊な国だと思います。

この映画は、そういう「あなたたち、どうするんですか?」という問いかけを含んでいます。
もしアメリカで同じ映画を作ったら、気候変動の有無で対立が起きると思います。
でも日本の「温帯」には、まだ大丈夫だろうというどこか油断した感じもあって。

英題の“temperate”には、温帯の意味だけでなく「中途半端」という意味もあります。
まあ日本人って、そういうところあるよなって思いますね。

──最後にこれから「温帯の君へ」を観る方へのメッセージをお願いします。

上映される劇場がチュプキ・タバタっていうちょっとこじんまりしたところなんですけど、終わったあとにみんなで話すみたいなことがきっとできるんじゃないかと。

普通のトークショーみたいに壇上じゃなくて、みんなと同じ目線で座って話す感じで。

そういう、普段だったらなかなか交流しないような、全然違う文化や考えを持ってる人たちが集まって、言葉を交わせる場になると思うんです。

映画を観たあとに、そういう人たちと出会って話すのが、一番いい楽しみ方なのかもしれません。だから、そういう場もぜひ楽しんでほしいなと思ってます。

____

1999年生まれ、25歳の宮坂さん。ここまで読んで、思考の深さや言葉選びのセンスから「まだ20代?」と驚いた方も多いはず。昔から実年齢より大人に見られることが多いそう。
それでもふとした笑顔には、やっぱり20代らしさがのぞきます。
そんな宮坂さんに出会えるかもしれない拡大レイトショー、ぜひ足を運んでみてくださいね。

「温帯の君へ」拡大レイトショー

9/1~9/14(休映日:3,6,10)
CINEMA Chupki TABATAにて
Instagram:https://www.instagram.com/temperate_movie/

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