ニュース|2025.08.04

【横尾忠則×ホセ・パルラ】越境するアーティスト対談

アンダーグラウンドのアートシーンから登場し日本でも人気のアーティスト、ホセ・パルラ。彼が“もうひとつのホーム”と慕う日本にひさびさに来て向かったのが、横尾忠則の個展。そこからトントン拍子で、憧れの巨匠との対談が実現した。年齢も、国も、そしてあの世とこの世さえも、ボーダーを越えて響き合う画家たち創造の秘密。

写真:森 豊  原稿:平井有太

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 誠に失礼な話かもしれないことは大前提の上、このある意味で奇跡的な邂逅は、当初あくまでも思いつきだった。

 ホセ・パルラ(52)はマイアミ出身、キューバにルーツを持つ、NYはブルックリン在住のアーティスト。ワールドトレードセンターに設置された幅27メートルにも及ぶ作品ほか、世界各所に残る巨大壁画などで知られる。

 日本とは20世紀末の初来日から関係深く、2025 年の夏、銀座のポーラミュージアムアネックス(6/20〜7/27)、六本木のKOTARO NUKAGA(6/20〜8/9)にて久しぶりの個展が開催された。来日そのものも8年ぶりだったことには理由があり、パルラは2021年にコロナ罹患。4ヶ月間の昏睡状態から復帰、肉体的にも精神的にも復活まで長い時間を要したのだ。

 そんなパルラは、自身復帰初となる日本での個展のタイミングでちょうど開催中だった、横尾忠則さんの個展「連画の河」へ向かう。そこでは、予々敬愛する、88歳(当時)の横尾さんから繰り出された作品群に圧倒されるパルラの姿があった。

 それを見て、ふと「昏睡」や「無意識」、そしてニューヨークというキーワードにも反応してくださるんじゃないかという着想から、Shift Cでは今回の取材オファーを敢行。ありがたいことに受けてくださったことで、この対談は実現した。

 パルラの生命の再生と、横尾忠則さんの、長く頼もしく継続されている、それこそ”サステナブル”な制作のかたち。終えてみて感じるのは、たぶんこれは必然であったこと。ぜひ、お読みください。

横尾忠則:1936年兵庫県生まれ。1972年にニューヨーク近代美術館で個展開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロの世界3大ビエンナーレに招待出品。世界各国の美術館で多数の個展が開催される。22000年ニューヨークアートディレクターズクラブ殿堂入り。2015年高松宮殿下記念世界文化賞受賞。2023年文化功労者、日本芸術院会員となる。 
ホセ・パルラ:1973年マイアミ生まれ。サバンナ美術大学とニューワールド・スクール・オブ・アーツでペインティングを学び、現在はブルックリンを拠点に活動。ニューヨークのワン・ワールド・トレード・センターのロビーに設置された約27メートルの大規模壁画や、バークレーセンター(ブルックリン)の壁画をはじめ、大英博物館、ブルックリン美術館、ペレス・アート・ミュージアム・マイアミ、ハイ美術館(アトランタ)、ポーラ美術館(日本)など世界各地の美術館に作品が所蔵・展示されている。 

横尾 ホセさんは、お住いはどちらですか。アメリカに住んでらっしゃるんですか?

パルラ 私はキューバをルーツに持つアーティストです。そして今は、ニューヨークのブルックリンに住んでいます。

横尾 ブルックリンですか、 今いいですよね。

パルラ 今日は私たちを受け入れてくださって、ありがとうございます。お会いできて、本当に光栄です。

横尾 こちらこそ、どうもわざわざありがとうございます。
   なんかコロナになっちゃったらしいですね。

パルラ 2021年の2月、 まだワクチンがない頃に罹患してしまって、すごく深刻な状態になってしまいました。

横尾 ワクチンがない時に…よく命が助かりましたね。

パルラ 2度目の人生のチャンスをいただいたという風に受け止めています。

横尾 意識を失って、何ヶ月ですか?

パルラ 4ヶ月間、昏睡状態にありました。

横尾 その間、まったく意識がなかった。

パルラ 完全なる昏睡状態で、チューブを身体の各所から通して、それが呼吸を維持してくれて、おかげで命が助かりました。チューブがあまりに長い期間身体に通っていたので、唇やおでこ、胸のところなど、傷が残って消えません。

横尾 でも、よく帰還しましたね。

パルラ 奇跡と言われます。同じ病院でも何人も亡くなりましたし、同じ地域でも、私がその4ヶ月間では最後の生還者でした。

横尾 臨死体験はなかったんですか?

パルラ まったくの昏睡だったので、何が起きていたか知る由はありませんでした。最初に目が覚めて反射的にやったことは、身体中のチューブを抜こうとすることで、危うく自分で自分を死なせてしまうところでした。

 その後もう一度眠らされ、手足を縛られて、それがとてもギリギリの行為でした。

横尾 ホセさんは病気を患われて、でも作品はものすごく大きくて、迫力のある絵を描かれますよね。ものすごくこう、生命感を感じるんですけれども、あれは病気と関連してるんですか?

パルラ 今私が制作している作品は、昏睡状態になったことが大きな影響を受けています。目が覚めてから、その間夢で見たものと、実際に起きたことがすごく混ざってしまって、何が本当で何が夢の中で起きたことなのか、とてもわかりにくくなりました。

横尾 でもそれは、芸術にとって非常に重要な体験だと思います。

パルラ はい“ジュウヨウ”ですよね。

 目が覚めて、最初は自分自身が絵描きであることすら忘れていました。兄が過去の写真を並べて見せてくれて、それを見ながら記憶がやっと戻ってきたんです。それはとてもエモーショナルな体験でした。

 でも身体はガリガリに痩せ、肋骨が見えていて、足に力もないし、そこからリハビリをして作品がつくれるようになるまで、大変な苦労をしました。

横尾 僕もコロナにかかって今後遺症で苦労していますが、そこまで重症ではありませんでした。でもやっぱりその、倦怠感が辛いですね。

パルラ 私も同じように感じました。そこから脱するには、大変な努力が必要です。

 個人的にはコロナに罹患して、形而上の戦いがありました。一アーティストとして受ける影響が作品に反映されるわけで、そこが一般の方とは違う気がします。ニュースで見るような情報と、かかった本人が感じること、見ることは違って、そこからまた自分を盛り上げるというか、奮い立たせるのに苦労しました。

Morning Blossoms Over Tokyo, (Multiversal) 2025 © José Parlá mid

横尾 作品集を見せていただいたんだけれども、これらはコロナ以降に描いたものですか?またはコロナ以前もこういうのを描いてらっしゃったんですか?

パルラ ポーラミュージアムで展示したのは、コロナ以前のものです。2000から2005あたりを中心に、最近の作品もあります。KOTARO NUKAGAギャラリーにあるものは、新しい作品です。

横尾 それにしても大きな作品が多く、僕には今体力がないから、こんなに大きいなものは描けません。

パルラ いやいや、でも、世田谷美術館での個展に行かせていただきましたけれども、あんなに点数があって、あれだけのボリュームを一人のアーティストが描いたということで、感銘を受けました。個展に行って、その作家の数点の作品だけが強いみたいなことが多いですが、驚いたのは、どの作品を見てもものすごい力を感じることができたことです。

対談が行われたアトリエ。

横尾 年齢は89歳ですからね。来年は90歳です。

パルラ 個展を見て、作品を見ながら、まさかそれらが89歳とか90歳になる方が描いたとはとても思えませんでした。 その、むしろ若くほとばしるエネルギーを感じたんだけれど、同時にいろいろなスタイルがそこに込められていて、そこからはもう経験を積んだ巨匠の作品ということも感じられて、その両方が共存してることに、すごく感動しました。

横尾 ありがとうございます。

 ホセさんの作品を見ると、私はこれ一冊しか知らないんですけれども、一つのスタイルというか、様式を反復していらっしゃいますよね。

パルラ カリグラフィーの瞑想的なスタイルと呼べるものです。それは個人的な想いを普遍的、ユニバーサルなものとする行為で、見る側はそこから感情を通して多角的な情報を読み取ることができます。すべては私の記憶に繋がっていて、それが色のレイヤーとなって重なっています。 

横尾 いや、この画集を見るとね、ホセさんはアーティストなんだけれども、アスリートですね。

パルラ もちろん、そこにはダンスの要素も入っています。そこには音楽的な経験と、私のルーツにはグラフィティライター、ストリートアートとしての”ライティング”があり、それは非合法なものだったため、とにかく早く描かないといけませんでした。

 当時身体に染み付いた経験はスタジオで作品をつくるようになっても残っていて、そこは私のルーツに深く関わる部分です。

横尾 うん、だからすごい身体性を感じますよね、肉体性っていうのか。

 そしてあなたは、キャリアをストリートアートから出発させたんですか?

パルラ 1980年代頃、そのオリジナルのムーヴメントの渦中にはじめました。でも当時はまだ、それがアカデミックな美術界で理解されるものではありませんでした。ですので私がいつも興味を持っていたのは、その価値をもっとグローバルで国際的なものに押し上げ、美術館で見るような作品のレベルに到達させることでした。

横尾 僕なんかには、この線を一本引くだけでも大変だけど、それをものすごい数、非常にスピーディーに描いていらっしゃる。 これは体力がないと、もし僕がこういうのをやりたいと思っても、体力が全然できない。 たぶん、一本の線引くでやっとですね。  この白い線は一日で描いちゃうんですか?何日間もかけて描くんですか?

パルラ 時間としては、何週間かかかります。こう、一回ラインを描いて、そこにまた新たなレイヤーを加えて、またその上から描いてっていうの作業になるので、結果的に時間はかかるものです。

横尾 作品も大きいからね。

パルラ ライン一本を描く時の動きそのものは早いです。だから目と足の連携が大切で、結果的にもう、ほとんど踊っているように見えると思います。

横尾 すごい躍動感を感じて、面白いね。 うん、僕には絶対できない、こんなのは。 僕がこんなのをいっぺん描いたら、死んじゃいますよ。

Jose Parla Studio, Location: Brooklyn, New York, Architect: Snohetta

パルラ コロナに罹った後、作品の大きな変化としてレイヤーが増されて、描く線はもっと動脈や血管のようになりました。

横尾 リハビリですね(笑)。

パルラ はい。”モチロン”。

 そして精神的にも変化が訪れました。昏睡状態にあった時の夢を作品に反映させるようになっていったんです。

 例えば一つの作品は、風景画のようで、それこそ生と死が別れるような構成になりました。その下部は私の生命を支える菌のようなもので、それこそ人生を支えてくれる人々、友人たちとも言えます。

 昏睡中の夢には本当に彼らが出てきて、その夢の仲で私は誘拐されて日本に来ましたし、そこで津波にあい、今通訳してくれているユウタも出てきて、私の車椅子を押してくれていました。

横尾 なるほど、そういうお話が絵に反映されているんですね。

パルラ 自らの肉体のルーツとして、下にこう根っこが生えて、その根っこには友人たちや、今までこう、人生において繰り広げてきたドラマが絡んでいて、そういう風に作品に反映されるようになりました。

横尾 ランドスケープや、風景画にも見えますね。抽象にも見えるし、具象にも見える。

パルラ はい、ランドスケープですし、こういった作風は以前まったくないものでした。このように具体的に何かを描くようなことは今までありませんでした。

 「あとどれくらい生きるんだろう」ということを自分に問いかけ、生命についてここまで考える経験はありませんでした。そのランドスケープにおいては上が命であって、下が死を象徴しています。生と死がこう一緒に同時に存在していて、「それを描かなければいけない」という風になったのは、はじめての経験でした。

ホセがコロナ後に描いたランドスケープ。 La Habana Sunset, 2021 © José Parlá mid

横尾 今の話を聞いてると、こういう作品を描かされるためにコロナになった感じしますね。

パルラ はい。私もそう信じています。何かしらのメッセージが、生き延びたことであったんじゃないかと思っています。

横尾 あなたの作品では、ラインの下に、下地が描かれてますよね。

パルラ 最初にまず、背景をつくるところからはじめます。その時はグラデーションで色をつくっていって、その後に文字のラインのレイヤーができていきます。

 ペインティングに関しては、それこそ日本で長年築いてきた人間関係とか、色もそういったところからのインスピレーションで決められていきます。

横尾 それを今はニューヨーク、ブルックリンで描いてらっしゃるんですね。

 現在、ブルックリンは美術の中心ですか?

パルラ ブルックリンは今、ニューヨークが現代アートの中心地だとすると、その中でもアートがとても盛んなエリアです。

 ブルックリンにスタジオを持っているので、もしニューヨークに来られることがあれば、ぜひ、お立ち寄りください。

横尾 もうこの歳ではどこにも行けない。銀座に行くのもやっとです(笑)。

パルラ それでは、ニューヨークからいろいろな映像お送りします。私を通じてニューヨークを体験してもらえたらと思います。

たまたま机の上にあったのは、横尾さんがゴジラの表紙を描いた「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」。

横尾 僕のギャラリーはチェルシーにあるんです。

パルラ もしチェルシーで展覧会があるようでしたら、いつでも行って、できることがあればサポートします!

横尾 今もやって欲しいって言われてるんだけども、もう面倒くさくてね。 これまでそこで3、4回やってるんですけどね。

 もう行けないし、でもNYの話をされると、どうしてもノスタルジーで行きたくなります。昔は毎年、1967年から毎年行っていたんです。

パルラ NYの最もいい時期に行ってらしたんですね。

横尾 本当に一番いい時期でした。

パルラ 絵を描かれるときは、音楽を聴いたりしますか?

横尾 音楽をずっと聴いて、それで頭の中を空っぽにして、そうやって言葉とコンセプト、観念を全部排除して。

 僕は長い間禅をやってたから、一年間禅寺に入って、今はもう、耳を悪くしたために音楽が聴こえない。それは僕にとって、絵を描くためにはいいことです。聴こえない、考えない、言葉を全部排除する。 白痴状態にならないと描けないの。

 僕は頭の中の状態が、なんだかわからなくなって欲しいわけ。 僕は長い間禅をやってきて、何が禅かというと、考えをストップすることなんです。

 絵は、考えない。ふと浮かんだことを描いちゃう。考えないんです。つまり具象というよりも、非常に抽象的な状態に持って行かないと、ああいう具象画が描けない。

パルラ 世田谷で見た展覧会も、ランダムにフィギュアが入り乱れていて、メキシコのマリアッチもいれば、いろんなあの要素が一つの絵に入っていて…。

横尾 サムライもいる(笑)。

パルラ そうです。

 だから、そういった中ですごくアブストラクションを感じてました。そしてそれを突き詰めると、そもそもこの世界、現実というのは、本当はよく考えたらアブストラクトそのものなんです。

横尾 まったくその通りです。

パルラ そういう中で、横尾さんが絵を描き続けるモチベーションは何なのでしょうか。だって考えれば、描かなくてもいいわけです。

横尾 そうなんです、描かなくてもいいんです。もうね、絵を描くのに飽きちゃってるんです。 もう3歳から書いてるから、飽きちゃってる。だけど僕の場合は、「飽きないとダメだった」と思うわけ。

 ホセさんの場合は一つの様式を継続しているように見えます。僕の場合は、チェンジを繰り返さないとダメなんです。チェンジ、チェンジ、チェンジで、面白くていい絵ができても、その絵を2回描こうと思わないわけ。

パルラ なるほど。

 私の場合は文字を描き、それがレイヤーとなり、意識の流れがカリグラフィーを通じて具現化し、それが作品に昇華される様式があります。今回の図録以外の画集を見ていただけたら、もちろんそれらもお送りするんですが、そこに彫刻作品があったり、バリエーションは多岐に渡ります。

 でもやはり、カリグラフィーがすべての骨格になってはいるんです。

アストラルタウン 2008年 横尾忠則現代美術館蔵

横尾 ホセさんは僕の作品の中で、「アストラルの風景」が好きだって仰っていました。あれは僕も好きで、あの絵を次に描こうと思えば、また描けるんです。 ずっと何枚でも描けるんだけども、一枚できたらね、もうそれを「繰り返す必要ない」と思っちゃうわけ。

 だからそこは、ホセさんとまったく真逆のことをやってるなと思います。あれをずっと描こうと思えば、5点でも10点でも描けるんですけどね。 一回描ければ、もうそれとは全然違うことをやりたくなる。でも「なんでやりたくなるか」はわからない。 たぶん飽きちゃってんだと思う。

パルラ よくわかります。 Y字の作品も、たぶんあれを見て「大好きだ」という方々がたくさんいて、コレクトもしたいと思う人がいるんだけれども、横尾さんはでもまた次のスタイルに行かれてしまう。

 敬意を払うべきなのは、横尾さんがそのように考えて、実際にあらゆるスタイルを実際に試していけることです。

 私の視点からすれば、今回の世田谷での展示に行って、それぞれ作品が全然違う絵になったったり、ありえない組み合わせになったりとかっていうことがあるんだけれども、その中の色合いとか、筆のストロークとか、そういうところに横尾さんがやっぱりいらっしゃる。そこに継続性といったものが見えます。

横尾 僕はね、もう「何を描くか」ということにはあんまり興味ないんですよ。 あの中にはいろいろな具象が出てますけども、本当はあんまり興味ない。 何だっていいの。

 猫でもね、コカコーラの瓶でも、何だっていいんですよ。 それでね、興味があるのはテクニック。そういった技術、描くというテクニックに興味があるの。

パルラ それは感じます。 世田谷でも、会場の最初の部屋に入った瞬間から、すごい激しいタッチと、柔らかなタッチと、いろんなものが共存していて、そういったものを一気に感じられるっていうところに深みというか、自由がありました。

横尾 だから僕はね、抽象画家になりたいんだと思うの。

 本当にね、ニューヨークは毎年行ってたんだけれども、ホセさんみたいな人が近くに住んでるといいなと思う。

 この近くに住んだらどうですか?(笑)

ホセ また日本に来て、改めてぜひここに来させてください。

横尾 それで、「この部分描いてちょうだい」って言って、描いてもらいたいわけ(笑)。

ホセ それはもう、そんな光栄なことはないから、いくらでもやります。”ホントウ、マジデ!”

「この部分描いてちょうだい」という横尾さんの提案に、「いくらでもやります、ホントウ、マジデ!」とホセ。

横尾 もうニューヨークの、いろいろな友達がみんな死んじゃったんですよね。ニューヨークで、まだ僕の知り合いで唯一生きてるのはジャスパー・ジョーンズだけです。 ラウシェンバーグも死んじゃったし、ウォホールも死んで、誰もいない。うん、寂しい。ああいう人たちがいなくなったから、行かなくなったのかもわからない。

パルラ これから代わりに、そういったニューヨークのエネルギーを持ってくるし、もっといくらでもお話させてもらいます。

横尾 これからも、もっともっとニューヨーク中のアートシーンをかき回してください。

パルラ コラボレーションをして、そこに音楽とアートを合わせて、そういうことをやるために生き残ったのかもしれない。そうやって人々を一緒にするのが、私の任務だと感じています。

横尾 コロナはね、ホセさんにとってものすごく啓示だったと思うんですよ。良かったと思う。

パルラ その、自分が生き残った意味合いについてはずっと考えていることですので、今日いただいたアドバイスはすごくありがたいものです。自分のミッション、役割はいろいろな方々を一つにすることだっていう、そこについては自負があります。ジャンルを超えて音楽もダンスも全部ひっくるめて一緒にしながら、これからもっと頑張っていきます。

横尾 もっともっと面白いのができそうだね。

パルラ ありがとうございます。あなたとの対話は、素晴らしいインスピレーションでした。 そして重要な教えをいただいて、さらに真摯に続けていきます。

横尾 むしろ僕の方が、教えられることがたくさんありました。

 さらには一人、ニューヨークの新しい友だちが増えてよかったです。

José Parlá『Home Away from Home』
2025年6月20日〜8月9日
KOTARO NUKAGA ROPPONGI
東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル2階
11:00〜18:00(休:日・月・祝)
無料

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アーティスト/みんなのデータサイト顧問/UPDATER並走者
平井有太
1975年東京生、School of Visual Arts卒。96~01年NY在住、2012~15年福島市在住。単著/個展『ビオクラシー』(SEEDS出版、2016/高円寺Garter、2016)、グループ展「Legacy3.11」(伊ミラノ Fabbrica del Vapore、2024)ほか。2025年2月には故・康芳夫を偲ぶ会の企画運営を務める。

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