
落合宏理(おちあい ひろみち)
1977年東京生まれ。文化服装学院卒業。2007年に「FACETASM」を立ち上げる。2016年LVMH Young Fashion Designer Prizeにて日本人で初のファイナリストに選出、毎日ファッション大賞・大賞を受賞。同年にはリオ五輪閉会式「フラッグハンドオーバーセレモニー」の衣装制作を担当。パリ・メンズ・ファッションウィークにてコレクション発表を続ける。2021年にファミリーマートのオリジナルアパレルブランド「コンビニエンスウェア」のクリエイティブディレクターに就任。
Contents
かつてないほど大勢の人を相手に、服を作るという決意
ー2016年のリオオリンピック・パラリンピック閉会式には、どのような経緯で関わったのでしょう?
それはちょうど、ルイ・ヴィトングループのLVMHプライズの3回目かな、40歳以下の若手デザイナーが対象で、自分が日本人初のファイナリストになれたんです。 それが大きかったような気がしますね。その時に声がけいただいて、衣装チームの1人として、やらせていただきました。(落合宏理さん、以下同)
ーオリンピックだけでなく、パラリンピックの方も入っての閉会式となると、普通の洋服づくりとは違う気の使い方をしないといけなかったんじゃないかと。
それは特に印象的でした。僕も障がいのある方々だったり、様々な方と一緒に2週間以上いるというのは、人生において経験がありませんでした。
さらには、すごい数の人たちが一つのプロジェクトに対して動く時にクリエイティブと物事を進めなきゃいけないバランス、そういうところで「自分が何かを成し遂げよう」とか、一つ「服としての完成品を」というより、どう「このチームが思っている志を繋げていくか」「紡いでいくか」という、そういうイメージしかなかった。だから「近くの人が笑顔になってくれればそれでいい」ぐらいしか思っていなかったです。
僕は衣装チームとして動きやすいものだったり、様々な人たちのいろんな想いがある中で、その一人として関わっていました。
ーそういうことを経て、コンビニで洋服を売る、かつてないぐらい大量の人間を相手に何か物をつくるということになりました。
僕は東京のモードという現場で、FACETASMというブランドで、当時で10年ぐらいやっていたと思います。それがオリンピックを経て、一つの小さい自分自身が納得できる世界観だけというのとは別に「多くの人々、様々な方々を相手にやらなきゃいけない」という想いが強く出てきました。
そもそも一つには、オリンピックの衣装を僕がやったということを誰も知らないんです。 それは、TVのニュースを見ていても自分を含むファッションデザイナーの名前がクローズアップされない、その悔しさももちろんありました。だから、様々な局面で「もっとファッションデザイナーが表に出なきゃいけない」ということが一つと、あとは僕は小さい頃からスパイク・ジョーンズみたいな映像監督がすごい好きで、「オーバーグラウンドとアンダーグラウンドを行き来することがかっこいい」と思っていました。
そういう部分でファミリーマートさんと、こういうお話がタイミングよく来た時に、誰もが知っているコンビニ、ファミリーマートさんが「洋服をコンビニで売る」という想いを本気で、それがトップから関係者全員も同じ気持ちで「新しい文化をつくろう」という意識を持たれていたので、僕の答えは即答で「やります」でした。
これは別に僕だけでなく、つくるのは誰でもできてみんな優秀なわけです。だから僕の価値観としては「ファッションデザイナーとしていいものをつくりながら、どれだけ信頼していただけるか」、そういう比重が大きくありました。ファッションデザイナーとしてもっと信頼される、人と人とのコミュニケーションをつくっていくようなブランドになりたいと強く思って、そういう想いでデザインして、関わっています。

「裏原」を舞台にヒーローたちがたくさんいた時代
ーただスパイク・ジョーンズ*が好きなだけでは「ファミマが洋服やる」と言った時にピンとこない気もします。 もっと生い立ちに近い、小さい頃に見ていたもの、育った環境で、影響を受けたものはありますか。
それはやっぱり「ラルフローレン」とかですね(笑)。
ー大きな影響はやはり洋服から。
当時インターネットもないし、代官山とかネバーランド*、渋谷にあるSavage*とか、並行輸入で日本で買えないラルフローレンのチェックのシャツを買いに行ったり、「アバクロって何だ?」とか、西武デパートのラルフに売っていないラルフをどう探すかが大好きでした。理由はわからないですが、洋服がすごく好きでした。両親が洋服関係の仕事ということもなくて。
ーご出身はどちらですか?
東京の板橋です。親の感度がすごく高かったということでもないし、近所にお洒落な誰かのお兄さんがいたということもない(笑)。
ーそういう中で、明確にファッションの業界に入って行くきっかけは。
ラルフローレンに「ビッグポロ」というシリーズがあったんです。オーバーサイズのロゴの刺繍が裾に入ってる、それが中学の時ぐらいに出て、それまですごくおじさんの印象だったポロシャツが、一つのアイディアでめちゃくちゃカッコよくなったんです。それがすごく素敵で大好きで、ファッションの可能性と価値をすごい変えたなという、今でもそれを印象的に覚えてます。
その後、高校時代に「裏原」*というものが生まれて、僕は高校が高田馬場だったのでNOWHERE*にもすごく行っていました。だからといって全身裏原というわけでもなくて、プロペラも好きだったし、服が全体的にすごい好きな青春時代を送っていました。
当時世界ではアントワープシックスという括りでマルジェラが出てきたり、パタゴニアも目白にできて、「ペットボトルで服ができるって何?」と思って遊びに行ったりしてました。 だから、いろいろなものが一気に東京に入ってきた印象が僕には強くあった。モードが変わった瞬間、NOWHEREの方々が世界にフックアップされていく瞬間も見れたし、ヒーローがたくさんいる時代でした。
ーつくり手の想い、姿勢に対して、商品を買い、使う人たちはどんな状況にある、どういった方々を想定されていますか。
コンビニエンスウェアは全国展開して、今年で5年目になります。その中で、まだまだわからないことはいっぱいあって、想定と言えばデータはたくさんある中で、僕らは「じぶんを愛そう」というテーマでやってきました。
それぞれのシチュエーションを考えれば、コンビニに朝4時に行く人もいれば、夕方に行く人もいる。年齢も収入も当然違うし、一つのインフラだと思っています。だから年間約55億人、1日約1500万人の方が利用しているわけです。
ー凄まじい数です。
その中でやっぱりコンビニでは、どれだけ公共性があり安心できて「これを持っていれば大丈夫だろう」というものを売っていなきゃいけない。同時に、これだけ多くの方々がいる場所で、これだけSNSが重要とされる時代に、リアルにデザインを見れる貴重な場所だと思っています。そこに、少しでも心が動く色合いだったり、メッセージをなるべく込めながら洋服を置いているつもりです。


素材選びだけが配慮なのか? 「環境配慮」という言葉から抜け落ちる価値
ーどうしてもコンビニという存在は、大量生産大量消費の象徴として捉えられている側面があると思います。今仰った公共性や安心信頼を追い求める中で、現在の地球の置かれてる状況を念頭に伝えたいこと、表現したいことはありますか。
僕自身も一応アンテナを張っている方だとは思いますが、本当の答えってまだ見えてないし、常に変わる。 だからそれをヒステリックにお客さまに訴え続けるのではなく、「気づいたらエコになっていた」というのがいいというのはすごくあります。それでまず最初に、「捨てさせないパッケージ」というのをやろうと思ったんです。
コンビニエンスウェアは店に入ってすぐの場所に置かせていただいて、ただ、基本365日営業しているコンビニの特性上、商品を裸では売れないので、ジップ付きのフルパッケージにしました。使用後も領収書や携帯のケース入れにしたり、自然に便利だから「捨てさせない」ことで、一つの繋がりをつくれればいい。でもそれを、「捨てさせない」パッケージとは言いません。
あくまで自然な流れの押し付けでなく「いつの間にかエコをしていた」「再利用できた」というところから、家に持って帰って家族でそういう話をする。コンビニだからこその、そういう会話ができるカード、きっかけの商品になるんじゃないか。家でそういうメッセージを話し合えるのがファミリーマートの強みだと考えて、そういう取り組みがまず最初の一歩でした。
基本的に糸だったり、素材だったりの環境配慮は当たり前で、それらを意識した上でものづくりをしています。でも、それを大きく言うことはしていない。
デザインを通してなるべくスマートに、チャーミングにコミュニケーション取りたいと思っています。
ー伝えようとしてることが多くのお客さまに伝わっている手応えはありますか。
そういった環境配慮を、環境配慮という言葉だけで言うのか。リラックスできている時や、その瞬間を体験する中で余裕が出て、はじめてそこで環境配慮に対して考えられるということもあるじゃないですか。
例えばコンビニエンスウェアが公園の近く、だいたいどこにでもあって、雨や泥遊びで子どもの服がビショビショになって服を取り替えて、それで親御さんの気持ちが楽になった時に何かがあるとか、ファミリーマートだからできるコミュニケーションの先にあるもの。それだって一つじゃなくて、例えば郊外の家から1、2時間かけて服を買いに行かなくても、近くのファミマでクオリティの高いものが買えたりもする。
「じぶんを愛そう」というテーマはそこにあります。
服をコンビニで買えたことで何らかゆとりができて、その時にいつもと違うことを考えたり自分の時間をつくれたり、本を読んだり、そういうことになってくれたらいいんです。
そういう生活全体を見れるのがファミリーマートだから、まだまだ5年目でこんなスピードで認知されていくというのは、元々がむしゃらにやってきて想像以上の状況です。でも、「じぶんを愛そう」というテーマは最初から意識しながらやってきて、それが徐々に伝わってきてくれているのかなと思います。

ブランドのストーリーと共に「定番」が豊かになっていく
ートレンドは追わず定番商品が基本ということと、片やミュージアムショップにおいてもいい商品ということも仰っています。定番的要素と先駆性の共存という、その辺りの落としどころはどうされていますか。
洋服好きな人からすると、アメリカの量産のHanesとかChampionあたり、皆さんやっぱり好きじゃないですか。ある意味、90年代のあのあたりってむしろ特徴的だと思っています。
でも、コンビニエンスウェアは「売れてるから、こういうのをやりましょう」ということはそこは求められていないと思っています。自分のクリエイティブディレクターとしての色はもちろんありますし、個人的に影響を受けた90年代とかアメカジの、Tシャツ一つとってもUSAコットンだし、トレーナーはリバースウィーブだし、そういう商品を一つ一つ開発してきました。
ハタから見れば定番で、 ファッション好きからすると「ちょっとカレッジっぽい」とか、それだってすぐにここまでの商品数を出せたわけではありません。少しずつストーリーとして「このTシャツがうまくいった。じゃあ次は、このTシャツに合うトレーナーはやっぱりこれで、ちょっと肩が落ちた感じで」という、定番だとしてもブランドのストーリーと共につくり上げてる感じなんです。
ー元々のファッション業界の人たちからの反応は、どのようなものでしょう。
基本、ポジティブだとは思っています。5、6年前、もともとコンビニに洋服ブランドはなかったわけで、誰もやったことのないことだったから、リスクについても考えず、がむしゃらなチャレンジを続けてきました。
最近はNIGOさんが、ファミリーマートのクリエイティブディレクターに就任するというニュースが出ました。自分としてはそういう本当に尊敬する、憧れのデザイナーがファミマに参加していただけるということは、自分自身のチャレンジにファッションの人たちから合格をもらえた、「合っていたんだな」というのはありました。
NIGOさんはもちろん、残念ながら亡くなってしまったヴァージル(アブロー)もエビアン、IKEAをやっていたり、ファッションデザイナーは洋服のデザインをしてるだけじゃなくて写真のビジュアル、カメラマンも決めるし、選択の連続で半年に一度は新しいコレクション出して、レディースのヘアメイクまでジャッジする。ですから、そういうクリエイティブ問答をずっと続けていく中で、様々なことに対して「できる」というプライドも自信もあったので、そこをちゃんと見せたい気持ちが強くありました。
ーよく言われるインフルエンサーの力に加えて、公共性とか安全性、信頼性を考えた時にファミリーマートさんほど頼もしい存在もないと思います。同時に理解力や寛容さ、そもそもファッションブランドを持つという柔軟さを、どう感じていますか。
今、日本には世界を代表するコンビニが3つもあるわけじゃないですか。
ー日本発のカルチャーとしてのコンビニ。
世界中にファンもいるし、その中でファミリーマートは日本の生活に溶け込んでいる責任感とか、先ほど言ったインフラ、防災や子どもたちへの支援や、食品ロスの話で言えば「ファミマフードドライブ」という取り組みもしています。それは、それぞれの家庭で食べきれない食品をファミリーマートに預けて、それを地域の必要な方に寄付するという、僕はそのロゴデザインも担当しました。
ーある意味での循環型経済をつくり出す試み。
一緒にブランドをさせてもらって、ファミリーマートさんがあらゆるリクエストを受けながら、様々な取り組みをやっているのを間近で見てきました。コンビニという箱に対して多種多様な要望がきて、それらに対応して企業の責任として、しっかりやっているのに見えていない部分も多い。
一日に約1500万人もの人が来て、それだけの目線がある中であそこまでの対応はすごいことだと思います。そんな中でクリエイティブというものをちゃんと理解していただき、チャレンジ精神を損なわずここまでやれているのはすごいことだし、責任を持ってやられているなと思います。
そこに、この「コンビニエンスウェア」という言葉があって。
ーその言葉も落合さんの発案ですね。
日本にファミリーコンビニができて50年ぐらいと言われている中で、商標を取れたわけです。逆に言えば、それぐらい期待されてなかった。誰も考えてこなかった部分にチャレンジする、それはめちゃくちゃ素晴らしいことだし、こうやって取材を受けさせていただいたり、新しいファッションの価値を生みだそうという、それで今や海外の人たちからもお話をいただいたり、話すことも増えています。


ー消費者とは、どういう時に一番コミュニケーションが取れた、メッセージが伝わったという風に感じますか。
ファミリーマートは企業として成熟されていて、データが取りやすいからわかることですが、1月2月頃、「そろそろ春を感じてほしい」と思いながら全国でわかくさ色とか桜色といった靴下を出すんです。そうすると、従来なら黒や白しか売れないというイメージがある中で、その色が売れたりします。そういうことが次の日にはわかるから「じゃあ、次はこうしてみよう」と思って、ちょうどコロナが明けた時期だったので、ネオンカラーで、「ポップなデザインの靴下で、外に遊びに行こうよ」みたいなメッセージの靴下をつくりました。
すると、今度はそれをフジロックでいっぱい履いてくれる人がいて、「これはすごい可能性がある」と思いフジロックとのコラボも実現しました。 もう今はブースも持たせていただいて、スタッフTもつくらせてもらっています。
僕は、基本的にはロゴを使うと限定的にしか広まらないので使わないようにしています。フジロックでさえ、コンビニのユーザー数から考えれば、知らない人の方が普通なわけです。
ロゴがないからこそ「色がかわいいね」という風に見えて、買った後に、その色が実は「フジロックというフェスとのコラボだった」「日本には世界でも高評価のフェスがある」ということを知ってもらう、それもコミュニケーションです。
例えば、子どもが「かわいい靴下買った」と言って家に持って帰ったら、お父さんが「20年前にフジロックに行ったぞ」と言うような会話が生まれたらと思っています。ファミマでやるコラボレーションというのは、なるべく相手のブランドの魅力を強調しながら、ファンじゃない人でも誰でもが買えるような、そういうことをイメージしてやってます。

ー何かを押し付けないというのは、落合さんの性格上にもあってそうに見えます。
いや(笑)。これはコンビニエンスウェアだからこその姿勢です。 ありがたいことに、コラボのオファーはとても多い。基本はグローバルブランドか、地域密着でやっていて。フジロックも地域密着ですし、他には広島カープや沖縄の琉球ゴールデンキングスなどです。
「こういう風に暮らせたらいいね」という、文化のデザインをしていきたい
ー社会に対してアンテナは張ってると仰っていましたが今、現代は大変な世の中で戦争に格差、物価高騰にもちろん気候変動という、かなりヘビーな社会課題がたくさんあります。
いつも自分はクリエイティブディレクターとして、最新のそういった大量生産に合う環境配慮型のものがないかというのは、取引先さんと打ち合わせする時に常にリクエストしています。
あとはファミリーマートさんからいただいた取り組みで、「ブルーグリーン」というプロジェクトでは、繰り返し使えるスプーンやストローを、海洋プラスチックを使った環境配慮型でつくりました。さらに色も付けた方がかわいいから、鉱石から採れた塗料で色を付けるデザインを一緒にやらせていただきました。
徐々に仕事がクリエイティブディレクター寄りになってきて、そういった情報や技術を使ったものづくりを、少しずつ現実にできるようになってきています。 やっと自分がそういう立場になってきたんだなということは、「責任が生まれた」ということだと思っています。
取り組みを通じて勉強もしているし、そういった商品を世の中に出していくことそのものが、自分にとっての社会問題の向けた取り組みなのかなと思います。
コンビニエンスウェアとして、人々の心をポジティブに前向きにしていくことがデザインを通したメッセージです。


すごく想いがあってつくったのがこの吸水ショーツでした。クロッチ部分が無漂白オーガニックコットンで、つまり生成りなんですね。ファミリーマートで「これをつくろう」となった時、まず「男性も女性問題を一緒に考える」ということでチームをつくるところからはじめました。そもそも、コンビニで吸水ショーツと聞くとちょっとニッチな感じもしますよね。
でも僕も生理の問題について学ぶと、背景にネグレクト問題があり、子どもに対して生理について教えられない、子どもは経血について知識がない。
この吸水ショーツは無漂白なことで、色や量もわかるんです。洗濯はしづらいかもしれないけど、それで体調もわかる。今は定番商品として売っていて、多くのお客様にご購入頂いています。
社会にどれだけ貢献できているか、そういうアイテムはどんどんつくっていきたいし、そういう意味での社会の問題というのも、ファッションやブランドとしてはやらなきゃいけない。
ーファッションが持つ可能性とか、この領域にデザイナーとして初めて入っていって、どんな功績、レガシーを残したいと思っていますか。
ファッションデザインではありますが、「文化のデザイン」をしているイメージが大きいというか、人々の意見を聞いて、皆さんが「こういう風に暮らせたらいいね」とか、どれだけ人々の話を吸収して、それもプロセスに入れていくことが、すごく重要だと考えています。
コンビニエンスウェアには「じぶんを愛そう」というテーマがあって、そこに対してブレないやり方をしつつも、自分たちの役割は徐々に生まれてくるんじゃないかなと思っています。本来の「緊急需要」というものから、その先で、ファッションブランドとして「楽しい洋服がある」「ファミマで洋服が買えるのはいい」というところまで行けました。さらに今後、またどんどん変わっていくと思うので、あんまり先のことは考えず、目の前のことをやっていく感じです。
ー「じぶんを愛そう」というテーマは、逆に言うと、自分を愛してない人が世の中に多いということ?
そんな悲観的なことではない、もっと気楽なイメージで考えた言葉でした。今でもしっくりきている言葉でもあります。
ファミマのこの取り組みには本当に未来があると思っています。これからも洋服のバリエーションが増えていく中で、無駄のない商品構成をしつつ環境配慮はもちろんだし、何らか素晴らしい素材が出てきたら一気に全部変えるかもしれない、いろいろな可能性があると思います。
これから先に、そういったレガシーが生まれそうなところにいられるだけで幸せかもしれない。そういう希望の存在について言っていただけたり、考えられるだけで幸せかなと思います。
ー一番の苦労というか、大きい会社とやる時の、「これは大変だな」ということは?
それがないんです(笑)。意外に本当になくて、めちゃくちゃ風通しがいいです。
*スパイク・ジョーンズ:1990年代中頃、ビースティ・ボーイズやファーサイドといったアーティストのミュージックビデオで活躍。その後映画監督に転身し『マルコヴィッチの穴』『her/世界でひとつの彼女』などを発表。
*裏原(うらはら):原宿の交差点から少し入った原宿の裏通り一帯。1990年代、日本のストリートファッションや音楽、アートなど、多様なカルチャーがここから発信された。
*NOWHERE(ノーウェア):原宿・裏原宿カルチャーの原点とも言える伝説的ショップ。高橋盾とNIGO®が90年代前半に立ち上げ、ここからアンダーカバーやA BATHING APE®といった日本発ストリートブランドが世界に羽ばたいていった。
*ネバーランド:渋谷と恵比寿の間にあったセレクトショップ。主にアメリカで買い付けた日本未上陸のブランド、アイテムなどが話題に。
*Savage(サヴェージ):DJ、ラッパー、プロデューサーであり “キング・オブ・ディギン”と称されるヒップホップシーンの草分け的存在であるMURO(ムロ)が手がけたセレクトショップ。