
プロフィール
大森花奈子
京都芸術大学卒業後、渡英。ロンドンにてメゾンブランドのデザイナーに師事し、さまざまなコレクション制作に携わる。帰国後、世界を代表するモード系ドメスティックブランドにて生地企画を担当。その後、複数のブランドで企画デザイナーとして活動し、2023年にディレクターの松山律子さんとともに「URUH(ウルー)」を立ち上げる。
Contents
幼少期の原体験とロンドンでの服づくりが拓いた、デザイナーへの道
——URUHを立ち上げる前は、日本とロンドンでキャリアを積まれていたと伺いました。これまでの歩みを教えてください。
小さい頃から絵を描くことが好きで、ある日リビングで絵を描いていたとき、人物よりも洋服を描くのが好きだと母に話したんです。すると「デザイナーという仕事があるよ」と教えてくれて。それが小学校4年生の頃で、そこから「デザイナーになる」という目標に向かって進み始めました。母も洋裁学校に通っていたことがあり、家には裁縫道具やミシンが揃っていました。自然と服づくりが身近にある環境だったと思います。
——そこからどのような経緯でロンドンへ?
高校時代、音楽好きの友人たちと出会い、70年代のUKパンクに夢中になりました。イギリスの音楽やカルチャーを知る中で、自然と憧れを抱くようになったんです。大学は京都芸大のファッション科に進学し、デザインやリサーチの基礎、考えたことを形にするプロセスを学びました。
当時は古いものや歴史をテーマに制作することが多く、その価値観に触れたい一心で卒業後はすぐに渡英しました。
——現地ではどのような活動をされていたのですか?
渡英して3ヶ月ほど経った後、「チャイルド・オブ・ジャゴ」(ヴィヴィアン・ウエストウッドの息子さんによるブランド)でインターンとして働く機会をいただきました。最初は直線を切るだけの仕事から始まりましたが、アトリエに立てるだけでも嬉しくて。ファッションショーの準備なども手伝わせてもらいました。
その後、伝統的なテーラーショップが集まるロンドンの「サヴィル・ロー」で、テーラーの鈴木一郎さんと出会いました。ご縁があって、彼のコレクション制作を手伝わせてもらうことになったんです。鈴木さんのつくるテーラードジャケットやスーツ、コートには、細やかな手作業によって柄を構築していく技術が用いられていて、日本人ならではの繊細さが表れていました。その姿勢に、何度も感銘を受けました。
“うるう”のような曖昧な美しさを、服で表現する
——ロンドンから帰国後、数ブランドでデザイナーを経験されたと伺いました。「URUH」立ち上げの経緯を教えてください。
30代向けの新ブランドの立ち上げでデザイナーとして参画したときに、現在URUHを共に手がけている松山と出会いました。そのブランドでは5年ほど経験を積みましたが、その後はフリーのデザイナーとして活動するようになりました。そんな中で、松山と「今度は自分たちでブランドをやってみよう」と話すようになり、URUHが誕生しました。
一番の転機になったのは、兵庫県西脇の工場を見学したことです。アパレル業界では海外生産が主流で、国内生産であってもOEMが間に入ることが多く、生産背景を知らないまま「国産」と謳うことに違和感を感じていました。
西脇では、年配のご夫婦が営む生地工場を訪れたのですが、世界のメゾンブランドも採用するほどの高い技術力がありました。糸を幾重にも重ねてグラデーションを織り上げる技術を間近で見たときは、本当に感動しましたね。
——ブランド名には、どのような想いが込められているのでしょうか?
人間の最大の特徴は、感じたことや考えたことを他人と共有できる点だと思っています。誰の心にもある「微細な感情の動き」や、「人と人との間に生まれる目に見えない感情や関係性」をテーマにしたいと考えました。
たとえば、「うるう年」や「うるう秒」のように、実在はしないけれど人間が定義した曖昧な時間ってありますよね。私たちのブランドも、そうした概念と重なる部分があると感じ、日本語の「うるう」から名前をとりました。
中でも、夕方の「薄明」のような時間帯が好きなんです。昼でも夜でもなく、明るくも暗くもない。そんな曖昧な瞬間に、個人的に美しさを感じています。そうした感覚を、URUHという名前と世界観に重ねています。
——デザイナーとして、ブランドを営む上で大切にしている軸があれば教えてください。
これまでの経験を通じて実感したのは、「安い=悪い」「高い=良い」といった価値判断ではなく、自分にとっての意味ある選択こそが大切だということです。たとえば、手頃でもシルエットが気に入っていて何年も着ている服もあれば、高価でも大切に持ち続けたい一着もある。それぞれの服にその人なりの価値があると思っています。
もちろん、国内生産だけが正解ではないと思っています。中国や韓国にも素晴らしい縫製工場がありますし、どこでつくられたかよりも、どんな背景や関係性の中でつくられたかに目を向けたいと思っています。URUHでは、そうした白か黒かで割り切れないもの、人と人との間に生まれる感情や関係性といった曖昧さを、洋服という形で表現していきたいと考えています。


産地とともに紡ぐ、つくり手の顔が見える服づくり
——日本の伝統織物や技術を取り入れている背景には、ロンドンでの経験や、実際に工房を訪れた体験が影響しているのでしょうか?
ロンドンにいた頃、現地の若者と話すと「日本ってどんな国?」と聞かれることが多かったんですが、当時の私はうまく答えられませんでした。彼らが自国の文化をしっかり理解していることに驚いて、自分ももっと日本のことを知るべきだと強く感じたんです。
帰国してから、自分のブランドを立ち上げるときは、生産背景を「一からきちんと見よう」と決意しました。今は実際に産地を訪ね、人と会って話す中で、現在は服づくりのすべての工程に関わる方々の顔が見える生産体制を築けています。
——すべての人の顔が見える服づくりが実現できているのは、大森さん自身の情熱や積み重ねがあってこそだと思います。職人の方々と良好な関係を築く上で大切にしていることはありますか?
私たちだけが職人さんの技術を見せるという関係ではなく、お互いに協力し合うことを大切にしています。私たちも職人さんの技術を取り入れて素敵な服をつくりたいし、一緒に試行錯誤しながらものづくりを進めていきたいと考えています。
現在は、桐生に二カ所、西脇に一カ所、越前に一カ所、愛知県の染工場など、全国5カ所の工場と関わりながらものづくりを行っています。今後も、信頼関係を育みながらより良いパートナーシップを築いていきたいです。
——使用されている素材へのこだわりについても教えてください。
現在もっとも多く企画しているのは、群馬県の桐生でつくる生地です。染色は愛知県の尾州、シャツは兵庫県の西脇で一部生産しています。特に桐生はデザイン性の高い細かな柄や織物が得意で、再生繊維やキュプラなども扱います。西脇は天然素材を中心としていて、水がきれいな地域なので染色にも適しているんです。

URUHでは、天然繊維や再生繊維をベースに素材選びをしています。特にキュプラという素材を多く使っているのですが、これはコットンを採取する際に廃棄される「コットンリンター」からつくられる再生セルロース繊維です。保温性、吸湿性、通気性にすぐれ、静電気が起きにくいといった利点もあります。資源の有効活用かつ生分解性も高く、サステナビリティの観点からも、この素材を積極的に使っていきたいと考えています。
着る人の感情に寄り添いながら、“続く”美しさを設計する
——URUHのデザインには、強さと静けさが共存しているように感じます。このバランスはどのように表現されているのでしょうか?
URUHでは、構築的なパターンをベースにしながらも、ウエストのシェイプや曲線的なラインを取り入れることで女性らしさを表現しています。URUHらしさにつながる要素として、「妖艶さ」を意識しています。構築的なシルエットに、繊細でロマンチックなディテールを掛け合わせることで、強さと柔らかさの両面を持ち合わせたデザインを実現しています。
——シャツやワンピースを中心としたラインアップは、どのように構成されていますか?
「埋めるためのMD(商品構成)」ではなく、「見せるためのMD」を意識しています。一点一点に意味を込めたデザイン展開にしていて、URUHのアイテムをすべて揃える必要はないと考えています。たとえば、Tシャツのようなベーシックなアイテムはあえて展開していません。他のブランドと組み合わせながら、自分らしく着こなしていただきたいという思いがあるからです。
シャツを軸にしているのは、年間を通して着られるアイテムであり、重ね着などアレンジも効くためです。長く大切に着ていただけるように、素材ごとに最適なシルエットを設計しています。ハリ感のある素材は、肩のラインが美しく見えるかっちりとしたシャツに、とろみ素材の場合はドロップショルダーで抜け感のあるオープンカラーシャツに、といった具合に工夫しています。
——シャツの襟やカフスが付け替えられるの仕様も印象的ですね。
襟やカフスは、どうしても汚れやすい部分です。それ以外の部分はまだまだ着られる状態なのに、処分してしまうのはもったいない。そう考えて、特定の商品では、いくつかのデザインの中から襟やカフスを選び、いつでも交換できるようにしています。

——サステナビリティの定義は人それぞれですが、URUHにとっての“持続可能なデザイン”とはどのようなものですか?
一つひとつの服に意味を持たせることが、長く愛用していただける理由になると考えています。アートと同じように、心に残り、共感していただけるような服づくりを目指したい。その想いが伝われば、クローゼットの中に入っていても忘れられない一着になれるはずです。
中・高価格のお洋服は嗜好品であり、極端に言えば「なくても生きていける」ものかもしれません。でも、人の心を豊かにする力を持っている。だからこそ、廃棄される存在ではなく、人の気持ちを動かすものとして、責任を持って提案していきたいと思っています。
つくり手とともに歩み、日本の技術と文化を未来へつなぐために
——今後、URUHとしてどのような展開や挑戦をしていきたいと考えていますか?
URUHでは、人の心の動きや感情の揺らぎといったエモーショナルな部分を、職人さんの繊細な技術によって表現しています。今後はその魅力を「ファッションの多様性」という観点で、日本国内の伝統技術を海外にも発信していきたいです。
ただ、各産地では高齢化や後継者不足といった課題も深刻です。だからこそ、ファッションを通して職人さんとの協力関係を高め、技術継承の循環を生み出していきたいと考えています。
たとえば、オパール加工のように薬品を使用する技術についても、環境に優しい方法へと改善できないかと考えています。完成品だけでなく、その製作過程自体を見直し、持続可能な形で伝統文化や技術を未来へとつなげていきたい。そのために、職人の方々と共に歩み続ける姿勢を大切にしていきたいです。
アパレル業界の持続可能性を考えるとき、素材だけではなく、生産方法や流通の仕組みまでを含めて見直すことが必要だと感じています。生産者と消費者の距離を縮め、日本の素晴らしい手仕事や技術を国内外へ発信することで、文化的な価値をさらに高めていきたいですね。