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ストーリー|2024.12.09

水力発電と伝統民衣、サステナブルな暮らしの知恵を復活させた夫妻の挑戦

水力発電と地域に根付く伝統民衣“たつけ”。岐阜県と福井県の県境にある石徹白(いとしろ)地区にかつて存在していたサステナブルな暮らしの知恵を現代に復活させた夫妻がいる。夫の平野彰秀さんは発電事業と移住促進に取り組み、妻の馨生里さんは先人の作業着だった「たつけ」をはじめとした土地に伝わる衣服を現代服にアレンジして製造・販売する「石徹白洋品店」を運営する。石徹白の水力発電による電力自給率は280%。移住世帯は13世帯40人に増えた。「石徹白洋品店」は小規模ながらも石徹白の店舗(冬季は休業)とオンラインの直販事業の他、全国でポップアップストアを開きながら確実にファンを増やし、今年は英国ロンドンのウィリアム・モリス・ギャラリーでの展示も行った。

原稿:廣田悠子

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平野彰秀/NPO法人地域再生機構副理事長
1975年岐阜市生まれ。大学・大学院で都市計画と建築を学ぶ。2001~05年北山創造研究所、05~08年経営コンサルティングのブーズ・アレン・ハミルトン。01年に東京にいながら岐阜市でまちづくり団体の立ち上げに参画、07年に石徹白に出合う。08年に岐阜市にUターンし自然エネルギーの活動を開始。11年に石徹白に移住

平野馨生里/石徹白洋品店店主
1981年岐阜市生まれ。石徹白での小水力発電事業を経て2011年岐阜県の山奥の集落、石徹白(いとしろ)に移住。12年石徹白洋品店設立。地域に伝わる農作業ズボン「たつけ」をリデザインした商品を製造・ 販売する。石徹白で植物を育て採取し、藍染・草木染めを行う。服作りに加えて地域の高齢者に話を聞く「聞き書き」の活動や民話絵本の制作なども行う。22年、地域再生大賞準大賞受賞

隣の集落から12km離れた石徹白の集落。標高950mの桧峠を超えた先にある

水量と落差で発電する小規模水力発電、農業用水で行い環境影響はほぼない

険しい山道を車で上ること30分。標高700m、名峰白山のふもとに突然開けた土地がある。日本各地から多くの人が視察に訪れる石徹白地区だ(新型コロナウイルス感染拡大以降視察の受け入れはしていない)。現在、集落には4つの小規模水力発電機があり、そのうち2つが北陸電力に接続して全量を売電する。水力発電による発電量は、集落の電気使用量の280%。移住世帯は40に増えた。特筆すべきは最大出力が125kw(約150世帯分)で16年6月に2億4000万円(3/4は自治体からの補助を受けた)をかけて建設した「石徹白番場清流発電所」は、集落ほぼ全世帯出資による点だ。通常、発電所は電力会社や行政、企業が運営することが多いが、石徹白は地域住民が事業主体である。彰秀さんは「石徹白は自治意識が強く、皆でやっていこうと団結した」といきさつを教えてくれた。

左 2009年の農産物加工施設を再生させるために作られた上掛水車。右 螺旋水車は落差50cm以上あれば発電可能

石徹白地区はもともと白山信仰の拠点として栄えており、近世までどの藩にも属さずに中世の自治組織が残っていたという。柳田國男や宮本常一ら民俗学者が調査に訪れるほど、特有の文化があった土地でもある。「戦前は住民で発電所を作ることも少なくなく、石徹白も1913年に発電所を作り55年まで運営していた」と彰秀さん。

小規模水力発電は、発電量は多くはないがダムの建設が必要なく、水量と落差があればどこでもできるという利点がある。石徹白の場合、農業用水を利用しており新たに川から水を引く必要もないことから環境影響はほぼないという。

白山中居神社のほど近くにある「石徹白番場清流発電所」の中。 PHOTO:片岡和志
白山中居神社は白山を開いた泰澄大師が養老年間に社城を拡張したと伝えられている。樹齢200~1000年の杉の大木に囲まれている

「石徹白番場清流発電所」の売電収益は毎年約2400万円。銀行融資の返済のほか、集落の街灯や公共施設の電気代、耕作放棄地の再生や移動販売の誘致など地域の課題解決に役立てている。「借り入れは15年かけて返済する計画で、利益を地域課題解決に充てている」。

移住の決め手は「縄文から続く集落の文化をつなぎたい」

「持続可能なまちづくりについて勉強会をしているときに食とエネルギーを地域で賄うことを考え、水力発電が有効だとわかった。リサーチで訪れた石徹白で、地域の方と意気投合した」と彰秀さんは振り返る。石徹白の人々は「ちょっとした大工仕事は自分たちでこなし、食べ物も自分たちで作る。暮らしを自らの手で作り、自然の恵みに感謝する精神性があった。かつての日本人はこうだったのではと思った。“自然の利子”の範囲の中で暮らしていた」。馨生里さんも「こういう暮らしができれば何かあったときも強く生きていけると思った。縄文時代から続く山間地域で、ここで紡がれてきた文化や歴史を尊び、学び、地域文化を継承していきたいと思った」と加える。

地域に住む90代のおばあちゃんから昔の布について話を聞く、石徹白洋品店のスタッフ

夫妻が4人の息子たちと暮らす家の隣に住む女性の口癖は「ありがたい」だそうだ。「天気がいいと『ありがたい』。雨が降っても『ありがたい』。『石徹白洋品店』にお客さんが来たときも『ありがたい』。気づくと家の玄関前に食べてねと白菜が積んである」と二人は微笑み合いながら教えてくれた。

先人の知恵が詰まった“自然中心の服”を伝える

「石徹白洋品店」は地域に伝わる5つの衣服をリデザインして、自社で育てた藍や土地にある植物で染め、地域の人々が縫製する。現在は生産量が増えたため岐阜市の縫製工場にも依頼する。シグニチャーアイテムの“たつけ”は移住時に日常的に着ている人はおらず、作業歌とその踊りが石徹白民謡の盆踊りとして残り、舞台発表衣装として存在していた。「おばあちゃんに作り方を聞くと、端切れが出ずに無駄がない。お尻にゆとりがあり足裾が絞られているので動きやすくどんな作業でも動きやすかった」と馨生里さん。ズボンと似せて作ることで着やすくアレンジした。さらに地域に伝わる衣服をリサーチして“はかま”“かるさん”“越前シャツ”“さっくり”の5つアイテムが定番品としてそろった。

地域に伝わる民衣を現代風にアレンジして製造・販売する「石徹白洋品店」。冬季は休業するが、それを知らずに訪れるファンが1日1人程度いるという

いずれも無駄がないモノ作りが特徴で、英国のコレクションブランドで働いてきた女性の心を打った。「ゴミ箱に布が捨てられていないことに驚き、布も作る人も泣かなくていい服作りに感銘を受けて『石徹白洋品店』に入社してくれた」。彼女だけではなく「石徹白洋品店」はモノ作りの姿勢に共感したアパレル経験者が多い。「直線裁ちのため体に沿うようなラインは生まれ辛いが、機能性や着やすさが支持されている。洋服は人の体を美しく見せるためのカッティングだけど、“たつけ”は貴重な布で作られた、いわば“自然中心の服”」と馨生里さん。通常、洋服を作るときに出る裁断くずは15~30%程度と言われている。

“たつけ”の裁断図と着用イメージ

“たつけ”は型紙をはじめとした作り方を公開し、ワークショップでは実際に参加者と作る。「直線断ちの服は日本の先人の知恵でありそれを伝えることが重要だと考えている」。

移住者が増えるも人口は減少の一途

現在の石徹白地区の人口は約200人。石徹白に暮らす100人以上がお年寄りで高齢化率は50%以上。移住者が人口の1/5を占めるまでになったとはいえ、ピーク時の1960年が1297人だったというから6分の1以下に減少している。2009年に地域づくりのスローガン「将来にわたっても、石徹白小学校を残す!」を掲げ取り組むも09年に12人だった児童は16年には4人に。しかし現在12人まで増えその水準をしばらくは保つことができる。「移住者がいなければ保育園も小学校もなくなっていた」。

 平野夫妻が移住して14年が経った。「当時から予想していた課題が現実に起こっている。お年寄りが亡くなり、耕作放棄地や空き家が増えている。これまでお年寄りからいろんなことを教えてもらっていたが、こうした知恵が失われていく。自分たちの立場も変わった。当初は仲間に入れてもらい、教えてもらい手伝うという立場だったのが、今や責任世代。もちろん頼る方はいるけれどいつまでも続かない。自分たちがつなぐ立場になり、次の世代を受け入れていくことに重点を置くようになった」と彰秀さん。「目指すのは集落の存続だ。当たり前の暮らしが当たり前に続くこと。この土地で教わり学んだことを伝えていく」と語気を強める。

「そのために仕事を生み、雇用を生む」と平野夫妻はさまざまに取り組む。新たな取り組みとして「石徹白洋品店」は宿泊施設の運営に乗り出す。譲渡してもらった建物を改装し、来年9月に一棟貸しできる宿泊施設をオープンする。「集落の形を残すことも大切で、この家は築150年で馬小屋や屋根裏、囲炉裏の部屋などが残っている。石徹白らしい家の間取りを生かしてこの土地の暮らしを体験できるような施設にしようと考えている」と馨生里さん。

「石徹白洋品店」にアルバイトで働く男性(22歳)は、藍染めをしたくて門をたたいた。実は彼の母親が「石徹白洋品店」が開く藍染めワークショップに参加者した経験があり、彼に薦めたのだという。「石徹白洋品店」では滞在型のワークショップの他、17年から夏場にインターンをのべ5~6人受け入れている。「インターン制度では最低3週間石徹白で暮らしながら藍染めをしていただいている。石徹白を理解していただき、結びつきが強い交流人口が増えている」と馨生里さん。来年には少なくとも5人が移住してくる。1家族は「石徹白洋品店」が雇用し、もう1家族は山村留学を目的に親子3人で3年間の予定だという。

小規模水力発電を横展開

彰秀さんは小規模水力発電を他の地域でも行っている。「発電事業を行う際のポイントは、水力発電の大前提である豊富な水と落差に加えて、課題意識や危機感を持っていること。多額の借金をして作るので、経営感覚を持つリーダーがいる点も重要だ」。現在岐阜県内4カ所で取り組んでいる。「自然エネルギー学校という活動を行っており、学ぶ中で発電の気運が高まり建設につながることもある」。

石徹白の豊かな自然。子どもたちの定番は川遊び。

実は石徹白に最大出力5000kw規模の発電の話があったが断ったという。「川の魚や遊び場を失ってまで作る必要があるのかという判断だった。そもそも水力発電はエネルギーのためではなく地域のために行っている」。石徹白は自然栽培に取り組む専業農家やトマト農家など農業も盛んで、農家でなくても畑で野菜を育てる家が多い。「食べ物もエネルギーも顔が見えるところで作られている。作っている人の顔が見えると『もったいない』『添加物や化学的なものを避けたい』という感覚が強くなる。石徹白での生活は感覚が研ぎ澄まされる。多くの人にとって町で安定した生活を送ることが当たり前になっているが、それとは異なる価値観で生きることができるし、できる時代になったとも感じている。発電や端切れのない服は石徹白にあったもの。もともと日本にあったサステナブルな知恵を受け継いで形にするという着眼点で事業や暮らしをして、大きなシステムの中で生きるのとは異なる生き方があると示したい」。

石徹白洋品店 – Itoshiro Yohinten
〒501-5231 岐阜県郡上市白鳥町石徹白65-18
tel : 0575-86-3808
https://itoshiro.org/
※11~4月は休業

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